第28話 8年間夢見ていたワイン
   〜ポルトガル シャトー・ブサコ〜
2006年10月11日更新
斉藤信次

写真1:シャトーブサコのボトル  シャトー・ブサコ、そのちょっと愛嬌のあるワインの名前を初めて聞いたのは、8年程前のことです。正直言って、それほどポルトガルワインに興味があった時期ではなかったのですが、ポルトガルの大学都市コインブラの郊外にあるパレスホテルという豪華なホテルでしか飲むことが出来ないと言われ、以来、なぜか記憶の片隅に常にブサコの名前が貼り付いた状態が続いていました。そして、誰かがポルトガルに行くと聞けば、「シャトー・ブサコという凄いワインがあるらしいよ。もしパレスホテルに行く事があれば、是非飲んでみて」と、声をかけていました。結局8年間、誰からもシャトー・ブサコを飲んだ感想を聞くことはできませんでした。やはり、ポルトガル国内でも通常は見かけることはないようです。飲めないと思うと無性に飲みたくなるのが人情。主人も私も口には出さないものの、いつの日かポルトガルに行って、シャトー・ブサコを飲もうと心に決めていました。

 それでも、なかなかポルトガルに出かける決心がつかなかったのは、「ポルトガル人の運転はすごく荒くて、怖かった」、というフランスの友人の一言がひっかかっていたからです。実際にある統計では、交通事故死者の数がポルトガルは非常に多いようです。ぶどう畑に行くには、どうしても自分で運転しなければなりません。ポルトガルに行きたい、でも怖そう、でも行きたい。そんな繰り返しが数年続き、今年ついにポルトガル行きを決行することになったのです。そして、真っ先に手配したのがパレスホテル。ホテルが満室でシャトー・ブサコを飲みそこなったら一大事ですから。インターネットで空室状況を確認し、無事予約完了。レストランの席もしっかり押さえました。いよいよ憧れのシャトー・ブサコに会いに出発です。

写真2:ホテルと白鳥の浮かぶ池  ワインの名前にもなっているブサコとは、コインブラから北に約30kmの場所に広がる広大な国立公園の名称です。その深い森の中にポツリと建っているのが華麗なお城、パレスホテル・ド・ブサコ。古くは修道院の土地として、世俗から離れ、静寂に包まれた場所だったそうです。その後19世紀に入ると王室の管理下に置かれ、エマヌエル2世によって狩猟を楽しむための離宮が建てられました。それが今は豪華なホテルとして使われているのです。大戦中は各国のスパイが数多く出入りし、華やかさの影で政治的な駆け引きなどが行われていたこともあるようです。ネオ・エマヌエル様式と呼ばれる建築は天井が高く、階段の手すりにいたるまで美しい彫刻がほどこされ、壁一面に広がるアズレージョ(ポルトガルを代表する装飾タイルによる壁画。歴史的な場面が描かれることが多い)に圧倒されます。重厚感溢れる雰囲気に、まるで映画のワンシーンに紛れ込んでしまったような気分です。 写真3:アズレージョ フランスのベルサイユ宮殿も素晴らしいですが、そこで寝泊まりすることはできません。王侯貴族の華麗なる生活をしばし体験できるという意味でも、このパレスホテルは一度泊まってみる価値はあるでしょう。最近ちまたでよく聞く“セレブ”という言葉がぴったりの場所です。

 ホテルのすぐ前には大輪のバラが咲き誇る庭園が広がり、池には白鳥が優雅に浮かんでいます。ちょうど日曜日だったためか、観光でやって来た家族連れやカップルが何組もバラ園のベンチでおしゃべりに興じていました。私たちも夕食に備えて、庭の散策に出かけることにしましょう。先ずフロントで森の地図をもらいます。車道以外は、森の木々の間を抜ける細い小道ばかり。地図なしでは迷子になってしまいそうな深い森です。万が一帰り道が分からなくなり、楽しみにしているディナーに遅れてしまったら困ります。それに、街灯一つない森で日が暮れてしまったら、かなり心細いことでしょう。さすがに熊は出ないかと思いますが、森には色々な動物が生息しているそうです。「1本のワインを飲むためだけに、すごい場所に来てしまったね」。大きな木の根っこや切り株を幾つも乗り越えながら、なんだか笑いがこみあげてきました。

写真5:子豚の丸焼き  夜7時を過ぎると観光客が帰り、ホテルの宿泊客だけの静かなゆったりとした時間が訪れます。そろそろディナーのスタートです。先ずはサロンのソファでゆったりと、今回の旅行で定番となったポートニックで乾杯。これはホワイトポートをトニックウォーターで割り、レモンを加えたもの。初日にポルトのサンデマン社の方に教えていただいて以来、ポルトガルらしい食前酒として、実は毎晩飲んでいます(帰国後も時々自分で作って楽しんでいます。)シャトー・ブサコへの期待など、しばしおしゃべりを楽しんでから、いよいよメインダイニングへ入ります。ドレスアップした各国からのお客様で既に華やかな空気が広いフロアいっぱいに漂っていました。私たちはバラ園と森を眺められるバルコニーの席へ通されました。

 メニューとワインリストが手渡されます。ブサコの森を含むこの辺りはバイラーダ地方と呼ばれ、ここの名物料理は子豚の丸焼きです。 写真4:赤ワインのボトル 可愛らしい子豚の顔を思い出すとちょっと気が引けるのですが、皮がこんがりパリッと焼かれ、ジューシーな肉汁がしたたる丸焼きは本当に美味しいのです。メインは迷わず子豚の丸焼きに決定。 そして、いつも通りワインリストを食い入るように眺めていた主人の提案で、ハーフボトルのシャトー・ブサコの白と赤、両方を飲もうということになりました。このリストには、なんとシャトー・ブサコだけでも、数ページにわたって掲載されており、古いものは、赤で1945年、白では1944年の物がありました。迷った挙げ句、2000年の白と1964年の赤をチョイス。一体全体どんなワインなのでしょうか。実はこのワインの中身、毎年違う畑から選ばれるのだそうです。ホテルのソムリエ達がこの地方のワインを幾つもテイスティングし、「これはいい。シャトー・ブサコにふさわしい」と判断されたワインにのみシャトー・ブサコのエチケットが貼られるということでした。このホテルの歴史といい、ワインの造られ方といい、なんとも日常とかけ離れた不思議な感じです。

 このミステリアスな舞台設定で飲んでいるせいか、ワインの味わいも何か特別なものに感じられました。
白ワインは、果実や花の香りよりもスパイスや香木のような香が強く、レバノンで造られているシャトー・ミュザールの白の香りと味わいに近いような気がします。白も赤もフランスやイタリアのワインにはない、独得のニュアンスがあります。スペイン同様、アラブの影響を受けた歴史と何か関係があるのかもしれません。赤ワインはハーフボトルで40年以上熟成しているためか、色も香りも決して強くはありませんでしたが、口当たりは滑らかで、子豚の丸焼きとのハーモニーもなかなかのものでした。 写真6:森の中の山羊 ただ、2杯目になると若干バランスが崩れてきたため、急いで飲み干してしまいました。今回はこのワインを飲むためにポルトガルにやって来たようなもの。赤も白も堪能し、大満足の夜でした。

 翌朝、広大な森の中を山の上の方まで車で散策していたら、思いがけないものに出会いました。山羊と羊を連れた羊飼いです。まるでアルプスの少女の世界。「おはよう」と声をかけたら、はにかみながら「おはよう」と手を振ってくれました。華麗なパレスホテルと素朴な羊飼いが共存するブサコの森。ポルトガルという国は本当に味わい深い国です。

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