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「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する

 著者:谷沢永一
 出版:ビジネス社、2001年6月
 価格:¥1400+税

 何かと物議をかもしている「新しい歴史教科書」ですが、批判本の中では、これが今のところ一番おもしろいと思います。
 著者によれば、「新しい歴史教科書」は間違いだらけ、ウソだらけ、ハッタリだらけであり、この本ではその歴史学上の間違いをいちいちページを対照させて検証してくれています。だから「教科書」とセットで読むと、とても勉強になります。
 おもしろいのは、著者がおそらくけっこう筋金入りの国粋主義者であろうということです。そして、「新しい歴史教科書をつくる会」の活動に対して、実に不十分であり、ずさんであり、学問や世間をナメてかかっており、とても教科書など書くに値しない連中である、とコテンパンにやっつけています。
 ふつうわれわれなんかは、「教科書」は「右だ」と思いがちなのですが、この著者からは「つくる会」さえも「左」に見えるらしいのです(笑)。
 
 やはり、気になるのは、第二次世界大戦あたりをどう記述するか、ということになるわけですが、著者によれば、この「教科書」はまったく不十分で、もっともっと日本の英雄を書くべきだが漏れすぎているとのこと。
 
「日本人は卑屈になってしまった」(p.282)
 
「歴史の本筋は英雄譚である……歴史には華がないと物足りない……それと言うのも、歴史は決して真実を語らないからである。実証的とは称しても限度があって、歴史の素材は真実そのものではなく、評判にくるまれ、好悪によって選ばれ、利害によって値踏みされた言い伝えである」(p.302)
 と言い切るあたりは、「歴史は神話だ」と開き直る「つくる会」と軌を一にしているではないかと感じられる節もあるし、真珠湾やミッドウェー海戦に関して渡辺昇一のドラマティックな文章を引用しだすと、もう楽しくってたまんないというほど盛り上がってしまうのですが、しかし著者の結論というのは(山崎正和の引用ですが)……
 
(それを共有することが民族や国家の統合を強めると信じられ、それを見直すことが常に国際的な争いの種になるような歴史、政治家が歴史について発言しては批判され、多くの発展途上国で数百年、数千年の流血が重ねられ、日本の教科書問題に疲れるような歴史というものについて)それを根本的に解決するには国家の歴史を断念しなければならない」(p.286-287)
 ということらしいのです。
 
「国家は特定の民族文化の伝統から離れ、純粋に合理的な法と制度の体系として働くほかに生きる道はない。同時に民族は国家規模の大きさを保つことを諦め、国家内に多元的に存在する「エスニック集団」に変貌して、そのなかで伝統文化を守るほかあるまい」(p.287)
 そして、国は小学校・中学校で歴史教育をするなんて無駄な出費はやめなさい。歴史なんてのは自前で勉強するものです。学校が教えるのは勉強の方法だけで、あとは複数の資料があることだけ示すだけでよろしい。あとは世の中に多様な見解があふれているから、それを自前で選択しれ学べ、ということなのです。
 これは引用ではなく著者自身の言葉ですが、
 
「それでもなおかつ反対して、国家による歴史教育の必要を提唱する人は、何か胆(はら)に一物ある人ではないかと疑われる」(p.288-289)
 というくだりは、全く立場を事にしていながら、「なーんだ、あなたもそう感じているんですか?」と妙に共感を感じてしまったのでした。
 (2001年7月16日記)


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