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『それでも人生にイエスと言う

 
  ヴィクトール・エミール・フランクル 著
  山田邦男・松田美佳 訳
  春秋社、1993年
  価格:1700円(税別)


 ナチスの強制収容所での苛酷な運命を生き延びた著者が、「生きることの意味」を語った講演集。
 

  「生きる意味」という、もっとも重要だけど、もっともふだん考えることをおろそかにしがちなテーマが、この本の主題です。
  著者のフランクルは『夜と霧』という本でも有名な、ナチスの強制収容所を奇跡的に生き延びた精神科医です。

  このフランクルという人は、実存主義的な人間観に基づく精神医学という立場をとっているらしい。つまり自分の「実存」=「わたしというこの存在」が存在すること自体に意味を感じることがいちばん人間にとって大事なんだ、という考え方です。
  フロイトという心理学者は、人間の性的なエネルギーに着目して、人間は「快楽への意志」を持っている、と考えた(生理的欲求)。
  アドラーという心理学者はフロイトのもとを離れて、人間の優越感・劣等感に着目して、人間は「力への意志」を持っている、と考えた(社会的欲求)。
  しかし、このフランクルという人は、性的欲求も、力へのあこがれも、その根本には
「意味への意志」があるのだ、と考える(実存的欲求)。人間にとっていちばん大事なのは、自分が生きているという事実に意味を見出すことなんだというわけです。
  
  この本で感心したのは、
「われわれは人生に何を期待できるか」という問いは捨てなさい、という勧めです。そういう考えでおっては、いざ絶望的な状況に(たとえば収容所に送られてしまうといった、どうしようもない絶望状況)に強制的に置かれてしまったりすると、耐えることは出来ない、とフランクルは実体験から語ります。
  そうではなく、
「人生はわれわれから何を期待しているか」という考えに変更しなさい、とフランクルは言います。「生きてこと自体、問われていること」。瞬間瞬間の人生の場面に対して、自分はどう答えを出してゆくのか。一瞬一瞬、他の誰とも違う、唯一で一回だけの、自分の判断と行動をすることで、自分だけの人生を作り出すこと。それを、何かを創造したり、何かを体験したり、あるいはそんな力が無くても、ある態度を取りつづけることだけでも、人は自分の人生に意味を見出すことができる、とも。
  そして、そういう意味に満ちた瞬間というのは、実は「意味を見出そう」などという意識を超えて、ただ一心不乱に物事に取り組むときに、自分の意志とは関係なくやってきます。そのとき人間は自分が生きている意味が満たされていることを知るというわけです。

  そういうわけで、生きる意味を探している人、あるいは生きる道を定めたようでも、なんだか生きていて意味を感じなくなっちゃった、という人は一度読んでみてはいかがでしょうか。もっともフランクルは理路整然と話すというよりは、次々と体験や実例に基づいて彼独特の流れで話す人のようで、ところどころ話が見えにくいところもあるけれど、部分部分で共感できるところを探して読んでゆけばいいのではないかと思います。

  また、この本はフランクルの講演集の記録ですが、巻末には訳者の山田邦男氏によるフランクルの思想のわかりやすい解説がまとめられており、これもまた感銘を受ける内容で、なかなかオトク感のある本です。(2003年5月23日記)

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