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『ナショナリズムの克服

 
  姜尚中&森巣博 著
  集英社新書、2002年
  価格:700円(税別)


 国際的バクチ打ちの小説家と、在日の大学教授が、ナショナリズム・マイノリティ・日本人について、言いたい放題語り合う痛快な本です。
 

  日本に住むマイノリティとしての姜尚中(カン・サンジュン)さんが「アイデンティティからの自由」を求めて生きてきた軌跡と、マジョリティとしてアイデンティティなんて考えなくても生きてこれた日本人でありながら、日本の外に飛び出してしまって「アイデンティティへの自由」を考えている森巣博(もりす・ひろし)さんの、それぞれの生い立ちをまじえた対談は、とてもスリリングで刺激に満ちています。

  この本を読んでて、
「差別」というのはアイデンティティの否定や強制のことであり(おまえはこういう者だ、だからダメなんだ/おまえはこういう者でなければならない)、差別からの解放(Liberation=自由を手に入れる)というのはアイデンティティの獲得のことなんだなぁ(わたしはこういう者だ))、と改めて考えさせられました。
  そして、ナショナリズムというのは、つまるところ「わたしたちは日本人だ」というアイデンティティ意識を、この国に住んでいる誰に対しても「当然のこと」のように押し付けて平気でいるということなのだとも思いました。それは、個々人の自由なアイデンティティ(わたしはこういう者だ)を抑えつけ無視するという意味でも、またその「わたしたち」の中に入りきれない者に不利益を与えるという意味でも、
ナショナリズムは差別そのものになりかねない、とも思いました。

  また、日本人としてはマジョリティに属しながら、クリスチャンとしてマイノリティにも属しているわたしは、この本を読みながら、「日本におけるキリスト教は、ある物語と文化と儀式をもった『民族』ではないのか」という思いがわき起こるのを止めることができませんでした。
(2003年5月23日記)

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