三〇番地図書館の受付にもどる

『日本の信徒の「神学」

 
  隅谷三喜男 著
  日本キリスト教団出版局
  2004年6月15日
  価格:2520円 (with tax)


 「日本人とキリスト教」という問題を、神学者としてではなく、一般信徒の立場で、わかりやすく、しかし的確に掘り下げてくれている、よい本です。
 こういうスーパー信徒を、日本のクリスチャンは見習おう。
 

  著者の隅谷三喜男さんと言えば、最初は成田空港問題を長くやっておられる方だなぁという印象しかなかったのですが、実は労働経済学が専門の経済学者で、教会のなかでは一信徒であり、しかし、信徒としての立場で、ずっと教会の伝道のあり方や信仰のあり方について発言してこられたし、信徒の勉強会のリーダーシップもとってこられた方なのだということが、この本でわかりました。
  日本の教会は、とかく「牧師ががんばってくれないと……」「うちの牧師は……」などと、なんでも牧師まかせにしがちな体質がよく見られますが、こういうスーパー信徒もいたんだ、と知っていただきたいですね。

  この本は、2003年に亡くなられた隅谷さんの遺稿のような作品で、前半が、「日本人とキリスト教」、後半が「<日本の信徒>の『神学』」という構成になっています。
  前半の「日本人とキリスト教」は、彼が教会で行っていた勉強会における、彼の発題とそのあとのディスカッションがそのまま記録されている、というスタイルになっているので、話し言葉で専門用語もほとんどなく、とても読みやすいと思います。わかりやすい語り口調で、日本人の宗教感覚や、歴史認識の問題点などを、解説しておられます。
  後半の「<日本の信徒>の『神学』」は、そういう彼の問題意識をまとめたもので、明治以降の日本で、キリスト教がどんな風に定着していったのか、あるいはなぜ広く定着しないのか、という問題について、やはり比較的わかりやすい言葉で掘り下げた文章がいくつも集められています。

  日本人にとってキリスト教とはなにか。いやそもそも日本人とはどういう宗教意識の持ち主なのか。
  日本においてクリスチャンでありつづけるとはどういうことなのか。
  そういうことを論じた本はたくさんありますが、神学者が部屋にこもって机の上だけで考えたような理屈のオンパレードだったり、自己満足的な信仰の吐露を垂れ流していたり、聖職者の視点でしかものを見ていないような世間知らず本が多い中で、この本は、かなりわかりやすく、しかし、本質的なところを突いていると思います。そして、ふだん日本のクリスチャンが、うすうす気づいてはいるんだけど、なんとなく言葉にしにくいところを、ちゃんと言葉にしてくれているという感じがします。

  ただし、そういう「日本人とキリスト教」という問題について、答えを与えてくれている本ではありません。
  むしろ、とてもわかりやすい形で、問題を整理してくれているという感じです。隅谷三喜男さんから宿題をいただいている、という感じですね、日本のクリスチャンは。ここから次に、どう考え、答えてゆくか、ということが大事、という気がします。

  いい本です。「クリスチャンとして日本に生きる」ということに、いろいろ問題意識を感じている人には、特にオススメします。(2005年4月23日記)

ご購入希望の方は、
こちら(↓)

教会の玄関へ戻る
「キリスト教・下世話なQ&A」コーナを訪ねる

牧師にメールを送る