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『釜ケ崎と福音

 
  本田哲郎 著
  岩波書店
  2006年3月28日
  価格:2,500円 (without tax)


 「宗教」ではなく「福音」を……聖書のメッセージは徹底的に底辺に押しやられた人びとの側から発せられている。
 

  正直に言って、読み進むのに大変労力を要し、読了するのに時間がかかった本でした。それは、この本が読みにくい難しいことを書いているからではありません。どちらかと言えば、読みやすい文体で、わかりやすく書いてくれています。しかし、読み進むうちキリスト者としての自分のあり方に、大きな疑問を感じざるを得なくなり、常に問われ続けるその問いの重さに、ついページをめくるスピードが遅くなるのです。いたるところにちりばめられたキリスト者への問いに、考え込むたびにページをめくる手が止まるので、読み終わるのに時間がかかるのです。そのような思い、大切な問いをたくさん問いかけてくれるという意味で、この本はとても良い本だと思います。
 
  著者は、「小さくされた者の側に立つ神」ほかの著書のある、本田哲郎さん。大阪の日雇い労働者の街「釜ケ崎」に入って20年近く活動を続けておられるカトリックの神父です。
  しかし、彼はカトリックの神父でありながら、これまでの大勢的な聖書の読み方、解釈を批判し、聖書は徹底的に社会の底辺においやられてしまっている「弱く貧しく、小さくされてしまった人びと」に対する神の「選び」という観点から読むのが正しいのだ、と主張しておられます。
  そして、釜ケ崎という現場に立ちながら、なぜ日雇い労働者や野宿生活者がその生活から逃れることがなかなかできないのか、を簡潔明瞭にわかりやすく説明してくださっています。「サボっているから」「能力がないから」ああいう生活をしているのだ、という偏見や、「ホームレスは三日やればやめられなくなる」という誤解にも丁寧に応えてくれています。

  なぜ、この本を読み進むのに時間をかけざるをえなくなるのかというと、読む私自身が、とりあえず今は毎日三度の食事をすることができ、寝泊りする住まいも与えられている境遇にいるからです。イエスも、イエスの仲間たちも、そんな恵まれた生活はしていなかった。むしろ、イエス自身が毎日食うや食わずの野宿生活で、「食い意地のはった酒飲み」であった、しかし、貧しく小さくされてしまった人びと一人として生き、痛烈に社会批判し続け、同じように小さくされた人びとの代弁者として社会勢力となったときに、時の権力者たちによって殺されてしまった。そんな物語を聖書の原典を解釈するなかで切々と書き綴られている文章にさらされると、なんとか暮らせている、そんな自分が身につまされてしまうのです。自分は本当にキリスト教の福音を理解しているのだろうか、と。
  もちろん著者の本田神父も、カトリックの神父として食べることができており、住まいも三度の食事も得ておられる方です。ですから、この本は、「おまえも日雇い労働者や野宿生活を強いられている人と同じ苦しみを受けろ」と強要しているのではなく、「小さくされてしまっている人」に学び、教えを乞い、どうすればわたしたちの社会を良くしてゆけるのか、その方向性を、同じ三度の食事が食えているキリスト者たちに対して、訴えかけている本であると言えるでしょう。

  必要に応じて、聖書のヘブライ語やギリシア語の解釈なども交えながら、聖書の真実のメッセージを解き明かそうとしている本なので、主にキリスト者向けの本だと思います。もちろん、聖書に関する知識のない人でも、「なるほど聖書にはそう書いてあるのか」と思って読み進んでいけるように、わかりやすく書いていますから、キリスト者意外の広い読者にも向けられていると思います。しかし、まずはキリスト者が読んで、この本の問題提起に一度はさらされてみる必要があるのではないでしょうか。
  そういう意味で、この本を強く、特にキリスト者の方がたに、オススメします。
  (2006年9月3日記)

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