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『旧約聖書と新約聖書 「聖書」とはなにか

 
  (シリーズ 神学への船出02)
  上村 静 著、新教出版社、2011年12月1日
  価格:2000円 (+税)

 キリスト教に対して批判的な立場から書かれた聖書入門書
 

 この本はまず、「聖書を聖なる書物であると決定すること自体が暴力である」という指摘を含むまえがきから始まります。それだけでは何を言いたいのか不思議に思う読者もいらっしゃると思います。
 少し噛み砕いて言うと、「聖書」という絶対不可侵の権威が作られてしまうと、それに反する者を弾圧し、抹殺する暴力が正当化されてしまうということです。そしてその暴力は他者を裁くために行使されるだけではなく、自分自身をも疎外することにつながります。
 この「聖書」批判は、当然キリスト教批判にもつながります。キリスト教が絶対化されると、キリスト教と異なるものは全て否定され、断罪され、排除され、抹殺しようとする暴力が正当化されてしまうのです。

 そういう事を指摘する本ですから、当然キリスト教信仰に誘い、導こうとする本ではありません。著者自身も、「本書ははっきりとキリスト教に批判的な立場を取る」(p.10)とおっしゃっています。
 しかしその一方で、著者の聖書への愛情は深いと感じさせます。聖書を「聖なる書物」すなわち絶対的な権威を持つ書物として定めてしまうと、それは暴力装置になりますが、「その『聖性』を外してみるならば、人間についての洞察を語る人間の言葉として読まれるならば、そこからわれわれは〈いのち〉の神秘に、すなわち〈神〉に、出合うことができる」(p.7)と述べています。
 ですから、この本が志向しているのは、聖書を貶めることではなく、聖書の本当の価値を引き出そうとするものである、と言えるでしょう。「『聖書』をその暴力から解放したいのである」(p.10)と述べる著者は、実は最も聖書を愛する人であるということも、読み進むうちにわかってきます。

 この聖書批判、キリスト教批判(宗教批判)は、キリスト教の歴史を通して、また現在もなお行使されているキリスト教の暴力性を明らかにしており、キリスト者がキリスト教をよりよいものにしてゆこうとするなら、目を背けてはならない観点であると感じます。
 ただ、この本は「キリスト教に批判的立場をとる入門書」とは言うものの、キリスト教に関心を持つ人以外の人がこの本を手に取る可能性があるのか疑問です。「キリスト教信仰を前提としない入門書」であると言ってはいますが、キリスト教の内部の事情がわかっていなければ、この本が主張している「キリスト教の暴力性」をきちんと理解することは困難ではないかと思います。
 つまり、著者がおっしゃることとは裏腹に、この本はキリスト教会内部にいる人への忠告の書としか読めないのではないかと私は思うのです。

 この本はキリスト教に対する批判で終わっています。しかし、現実には世界に20億人近くいると言われるキリスト教の存在と影響力を無視する事はできません。ですからこの批判を受け容れた、その先は、読者、特にキリスト者自身が考えなくてはいけません。
 このようなキリスト教批判を前提とした上で、キリスト者自身が自己変革しなければ、キリスト教は滅びるべきものと言わざるを得ないでしょう。キリスト者がキリスト者としてこの世で存続しようとするならば、徹底的にキリスト教の過去を批判し、反省し、自己変革しなければなりません。そのための学びとしては最良の入門書であると言え、お読みになることをお勧めします。
(2012年10月4日記)

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