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『人体 失敗の進化史』

 
  (光文社新書 258)
  遠藤秀紀 2006年6月20日
  価格:740円 (+税)

 人間が最高ってわけじゃないんだ……
 

 著者は「遺体科学」を提唱し、徹底的に動物の遺体にこだわって動物の進化を研究する解剖学者です。
 その著者が数多くの遺体と真剣勝負してきた結果、地球の動物の進化は、「最終的に二本足で歩くホモ・サピエンスを目指して魚が陸に上がってきたわけではないことは、読者の皆さんもお気づきだろう。そんな神や仏が白紙から設計した理想的図面の上に、ヒトが作られているわけではない。どちらかといえば、偶然の積み重ねが哺乳類を生み、強引な設計変更がサルの仲間を生み、また積み上げられる勘違いによって、それが二本足で歩き、五〇〇万年もして、いまわれわれ人が地球に巣食らっているというのが真実だろう。道に迷ったり、転んだり、偶然や勘違いを無数に経てきた私たちの身体は、独特の設計の妙や、意図しなかった成功や、時に改造の根本的失敗まで見せてくれるはずだ」(p.52)という事情らしいのです。
 私がこの本に興味を持ったのは、宗教の学びの中で、人類の進化の問題が、創造論と関連があるからです。
 私は、神が6日間で世界を造ったとか、6日目に人間を造ったというヘブライ語聖書の創世記の物語は、神話だと思っています。しかし、その一方で、生命のメカニズムがあまりに精緻にまた見事に出来上がっているように思うので、聖書に書いてある通りとは言わないけれども、やはり生命の発生から私たち人類の誕生に至るまでの進化のプロセスは、何か神的なものが導いているのではないだろうかという淡い期待は持っていました。
 しかし、この本の主張によれば、地球上の生物の進化は、偶然の積み重ねの結果生まれて来た生物の変化が、あるものは環境に適応し、あるものは環境に適応せず絶滅し……という形で現在の結果があるということに過ぎないということです。
 それは確かにそうだと思うんですね。進化の方向が一方向だったら、みんな最後に人間になるはずで、地球上には人間しかいなくなるわけですが、これまでの進化の中でそれなりに順応した種は、みんな現在に至るまで生き残っているわけです。ですから、進化の目的とか方向性というのは、ナンセンスな概念なのでしょう。
 この本では、最終的に人体というものが、あるいは人間という存在全体が、いかに失敗作であるかということを、科学的に明らかにしてゆきます。そして著者が、今後人間はどのような方向に道をたどってゆくのかについての見解も明らかにされています。それはこの本の大半を占めている人間のハードウェアだけでなく、ソフトウェアについての洞察もやや交えたものです。
 人間とは何かを考える上で、大変参考になりました。創世記的な人間観で見ると、また新約聖書の「野の花、空の鳥」的な人間観で見ると、人間は他の生物よりも優れ、生物界の頂点に立っている存在のように思われますが、解剖学的にはこの人間の発生は全く偶然なのであり、しかも修正に修正を重ねて、あるものをかなり無理して改造しながらここまで進化してきた結果、いろいろ弊害も出ているということなのですね。ですから、「人間が最高ってわけじゃないんだ」と、この世の他の生物に対して、謙虚な思いを抱くきっかけにもなるのではないかなと思います。
 加えて、この著者独特の語り口、言葉遣いに個性があって大変面白い。この本、オススメいたします。
 (2012年11月4日記)

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