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岡田明、みなみななみ著 『タイムっち マンガで読む日本キリスト教史
 岡田明 著、 みなみななみ 画
  キリスト新聞社 2013年4月25日
  価格:2,000円 (+税)

 キリスト教と天皇制の関係を知るための入り口に立つ本

 「日本キリスト教史」と銘打っていますが、主に近代天皇制とキリスト教の関係に焦点を絞って描かれています。
 特に、明治維新以降、大日本帝国が天皇を中心とした立憲君主制を造ってゆく際に、天皇を単なる君主ではなく、神格化された支配者として演出してゆくプロセスで、いかに西欧のキリスト教的な要素が取り入れられたかをはっきりと指摘している点はたいへん興味深いです。
 天皇に対する拝礼がキリスト教の礼拝をモデルに形作られ、しかもそれは学校を通して国民に浸透させられた、ということは一部の人にはそれとなく指定されていましたが、ここまではっきりとわかりやすく描いたのは、画期的だと思います。

 特に、このレビューを書いている2014年現在、国会において「道徳の教科化」の検討が問題になっています。
 多くの人が高い関心を持っているわけではありませんが、キリスト教学校に働く者の間では、この「道徳科」を「評価の対象とする」教科として設置し、その内容が「国家主義」「天皇崇拝」で彩られることに非常に大きな懸念を抱いている人が増えています。
 つまり、かつて大日本帝国が行なった国家総動員態勢に復古させられてしまう危惧を抱いているのです。
 賛否は様々にあろうかと思います。しかし、つまるところ、天皇や国体の神格化、基本的人権よりも国権を最優先する憲法の制定、徴兵、近隣諸国への好戦的な態度などなどは、明治時代を通じて積み上げられて来た確固たる方向性であり、その行き着いた先に、知能より根性主義の作戦失敗、特攻や玉砕、原爆、敗戦といった過ちがあるという反省をするべきではないか、という意識が私にはあります。
 故に、現在の改憲、道徳の教科化には強い危機感を抱かざるを得ません。
 そのような問題意識に立って、この本の問題提起は、日本人クリスチャンが歴史と自分自身を振り返るには、非常に有益な視点を提供してくれますし、おそらく、クリスチャン以外の人で歴史に興味のある人も、いくらかは面白いと感じられるのではないかと思います。


 ただ、マンガというスタイルの強みと弱みが混在しているのは事実です。
 マンガというのは、大変とっつきやすくて読みやすく、わかりやすいという強みがある反面、「本当に書いてある通りなのか?」と疑ってみたくなったり、どこまで実証的な歴史研究の結果そういうことが言えるのか証拠や出典が曖昧になるという弱みがあります。
 私自身も「おそらくそのとおりだろう」と感じる部分はたくさんありましたが、ではなぜそう言えるのかという根拠を示すためには、この本は物足りないのです。

 しかし、それでも、これまで曖昧にしか話されて来なかった近代天皇制とキリスト教との皮肉な相応関係をはっきりと明言したというだけでも、この本の価値は非常に大きいと思います。
 あとは、この本に書かれている仮説的な断言が、今後、学問的にも解明され、それが根拠を持ったわかりやすさを伴って一般に広く知らされるようになることを願ってやみません。
 この本の末尾には、参考文献も紹介されています。このマンガで問題意識を刺激された人は、次はこれらの参考文献に当たってください、という案内役のような役割を任じているのだろうと察します。
 現在私たちの周囲で、私たちが気づかないうちに着々と進められている国家主義、戦争遂行への陰謀に気づくため、近代天皇制とキリスト教が深く関係づけられてきた歴史を見つめ直すのは大切なことです。

 私は、この問題は意外に根深い問題なのではないかと思っています。
 一神教というものが政治権力と結びついた時、何が起こるのか。また、その歴史から私たちは何を学びうるのか
 あるいは、日本の近代天皇制について、「天皇は宗教ではない」ましてや「日本人は一神教などではない」と言い切る人びとが圧倒的に多いなかで、本当に日本人は一神教徒としての性質、特にその危険な側面を備えていないのか、など。こういった諸々の問題に対する宗教学と社会学、政治学、歴史学、心理学などを横断した研究が待たれます。
 この本は、手軽ではありますが、このような問題に取り組むための入り口に立つための入門書としては、とても良い本です。

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