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「十字架の神学」をめぐって 講演集

  青野太潮 著
  新教新書(新教出版社)
  2011年8月20日  第1版第1刷
  2020年2月10日  第1班第2刷
  価格:1,700円 (+税)

 キリスト教の根本と思われていた贖罪論……
 その見直しを迫る「十字架の神学」への入口

 キリスト教と言えば「贖罪論」と即座に答え、まさにそれがキリスト教の真髄のように信じておられる方はたくさんいらっしゃるでしょう。それはクリスチャンはもちろんのこと、キリスト教の信徒でなくても「キリスト教の教えといえば、イエス・キリストが人間の罪を贖うために十字架にかかって、その結果人間は赦された。それを信じることで人は救われること」だと知っている(というより思わされている。信じていなくても)人も結構多いであろうと思われます(p.208参照)

 個人的な話になりますが、私自身「贖罪論を批判し、克服したい」と某SNSに書き込んだところ、実に多くの牧師たちから激しい怒りのバッシングを受けたことがありました。2019年の12月のことであったと記憶しています。その時、自分では親しいと思っていたある牧師からも「それはもはやキリスト教ではない。キリスト教の看板を下げて、とっとと出ていくしかない」と告げられたことは、私には大きな衝撃でした。
 私はこの短い人生の中でとは言え、いかにクリスチャンが(もちろん私自身の反省も含めて)贖罪論によって、自分の罪の現実から都合よく目を背け、かえって「自分は赦された者だ」と開き直って自己正当化し、自分が土足で踏みにじった相手を、いわゆる「セカンドレイプ」のように痛めつけ続け、さらには痛めつけた相手に対して「私たちは和解しなくてはならない」と要求するといった暴虐を行うかを、嫌と言うほど目の当たりにしてきました。
 ですから、私にとって「贖罪論の克服」とは、昨日や今日思いついたことではありません。もちろんキリスト教の長い大きな歴史の中では、吹き飛ぶような一瞬でしょうけれど。

 青野太潮先生が提唱してこられた「十字架の神学」は、この「贖罪論の克服」と私が自分で呼んでいる問題意識に、ストレートに応答してくださるものだと感じました。
 青野先生は、ご自身の主張が必ずしも現在のキリスト教の主流派からは注目されていない、それどころか正統主義者から「暴力」的な非難を受けているとした上で(p.240)、それでも、「イエスの十字架」がいかにして私たちの救いであるのか、またそれをいかにパウロがしっかりと手紙の中で説き明かしているか、さらには、マルティン・ルターがそのパウロをいかに正確に理解して「信仰義認論」を展開しているかを明らかにしてくださっています。
 そしてその論考を基礎として、贖罪論がなぜこの世の不条理な苦しみ、死ぬに死に切れない死を強いられた(殺された)人々に応答し得ないのかについても言及され、「贖罪論こそキリスト教の根本教理」と信じ込んでいる人々に、鋭く問いを投げかけておられます。(p.182-183)。

 青野先生がこの「十字架の神学」について叙述しておられる著書は多数ありますが、この『「十字架の神学」をめぐって』は、新書版ということあり、非常にコンパクトで読みやすく、入門書としては最適であると思います。
 先生ご自身もあとがきで「読者のご寛恕を切に乞う」(p.279)と記しておられるように、この本に収められているのは4つの講演で、確かに何度か重複する部分もあります。しかし、それだけに、重要なポイントを何度も噛んで含ませるように繰り返して説いてくださっているようで、一度だけ述べられたものを読むより、はるかに理解が深まりますので、私にはそれがこの本の良いところだと思えました。

 というわけで、この本は本当にオススメです。
(2021年1月5日(火)記)
 
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