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 Q. 聖餐式って、信者でなくても食べていいんですか?
 以前、学校(キリスト教学校)の聖書の先生に、教会に行く課題を与えられて、友達どうしで行ったのはいいんですが、パンとぶどう酒の儀式になって、食べていいのかわかんなかったんですが、お腹が空いてたんで食べたんですよね。そしたら怖い顔をしたおばあさんが近づいてきて、「あなた方は汚れた体のままでイエス様の体を食べましたね!?」と詰め寄ってきたんです。
 僕らは何だか強くなって、「誰かが『ヤバい! 逃げろ!』と叫んだ瞬間、教会の戸口に向かって全速力で走り、逃げました。
 やっぱりそのパンとぶどう酒は信者さん以外は食べてはいけないんですよね?
(2000年ごろに実際にあった話)

(2012年9月、メールでのご相談より)

 A. はい。もちろんです。

結論から言うと、実は教会によって見解が違います。
 ここ、http://ichurch.me:三十番地キリスト教会では、全く問題なく、誰でも聖餐式のパンとぶどう酒(ぶどうジュース)はいただいて良い、という考え方をしています。
 けれども、洗礼を受けた人以外は食べてはいけないと考えている教会もあります。
 ですから、聖餐式がもし始まったら、「あれは洗礼を受けた人しか食べてはいけないんですか?」と周囲の信徒さんに、小さい声で聞いてみてください。「いいですよ」と言われたらいただいたらいいんです。

 また、プロテスタントの教会では毎週聖餐式をやっているところは少ないですが、カトリックや聖公会の教会では聖餐式を毎週やっています(カトリックでは聖体拝預といいます)。信徒さんたちが立ち上がって行列になって、前の方の祭壇で待っている神父さんの前に順番に行って、ホスティア(ウェハースみたいな薄っぺらいパリパリのパン)をいただきます。カトリックはホスティアだけ、聖公会ではホスティアとぶどう酒をいただきます。
 その場合も、一応周囲の信徒さんに聞いてみたらいいですが、もし食べてはいけないことになっていても、一緒に行列にならんで、前の方に行き、「信者ではありません」と言えば、頭に手を置いて神様の祝福を祈ってくれます。これはこれでいいものです。
 プロテスタントの「信徒でなくては食べてはいけない」としている教会では、食べてはいけない人はほったらかしで、何のフォローもありません。ただ待っているだけです。

 さて、ここhttp://ichurch.me:三十番地キリスト教会では「聖餐式」は誰でも聖餐をいただいて良いという考えをしています。その理由を以下に述べてみたいと思います。
 ここからは、かなりの長文になりますので、読みたい人だけ読んでいただければ結構ですよ。

▼聖餐式とは何か

 聖餐式とは、イエス・キリストが十字架に架けられて死んだことを記念して行う食事の儀式です。
 パンがキリストの肉体を象徴し、ぶどう酒はキリストの血を象徴しています。
 カトリックの中には、「象徴ではなく、本当に肉体と血になるのだ」という人もいますが、食べればわかりますが、どう考えてもパンとぶどう酒の味です。宗教学的には、これは「象徴」というものであるとしか言いようがないでしょう。

 アルコールを受け付けない体質の人がいるので、最近のプロテスタント教会ではぶどう酒ではなく、ぶどうジュースを使っているところが多くなっています。カトリックや聖公会では相変わらずぶどう酒のようですので、聖公会でぶどう酒をいただく場合は、アルコールを受け付けない人は注意しないといけません。
 ちなみに、聖餐式で残ったぶどう酒は、司祭が全部最後まで飲み干さないといけないので、聖公会の司祭さんはお酒に強くないとなれないそうです。

 聖書には、聖餐式の由来として、以下のように書いてあります。特にイエスの生涯を描いたと言われている福音書でどう書かれているかを見るために、とりあえず一番最初に書かれた福音書とされているマルコによる福音書を読んでみましょう。

 
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。(マルコによる福音書14章22−26節)

 この記事は「主の晩餐」または「最後の晩餐」と呼ばれていて、イエスが逮捕される(その後十字架で処刑される)夜に弟子たちと食べた最後の食事の場面とされてきました。
 ちなみに新約聖書の4つある福音書の中でも、この主の晩餐を描いているのはマルコとマタイとルカだけで、ヨハネによる福音書にはこの記事はありません。

 この聖書の箇所に書かれているように、イエスが「自分の死を記念してこの食事を続けなさい」と言っているということで、現在もキリスト教会はこの食事の儀式を続けているのです。

▼「洗礼を受けないといただいてはいけない」と言っている人はなぜそう言うのか

 洗礼を受けていないと、聖餐をいただいてはいけないと言っている人の根拠は、だいたい以下のようなものです。
 「最初にイエスの死を記念するこの聖餐をいただいたのは、イエスの12人の弟子たちだけである。だから、イエスの弟子でないと(信徒でないと)この聖餐を受けることはできない」
 「聖餐というのはイエスの死を記念する儀式だから、イエスの死の意味を理解していない人が聖餐に参加することはできない」
 ちなみに、ここで言うイエスの死の意味というものは、「イエスは私たち人間の全ての罪が、神さまによって赦されるために、人間の身代わりとして命を捧げたのだ」というものです。こういう、誰かが誰かの罪の身代わりとなって罰を受けてくれる行為のことを「贖い(あがない)」と言います。
 イエスは人間の罪を贖ってくださったというわけです。これによって人間は罪から解放されて、神さまに赦されて、もうビクビクしないで生きて行けばいいということです。その割には、プロテスタントの教会の信徒や牧師さんには、未だに神さまの罰を恐れる人が多いのは非常に不思議ですが、まあその話は別の機会にいたしましょう。

 とにかく、そういうわけで、聖餐式にイエスの死の意味を理解して、それを信じますと言って、洗礼を受けた人しかいただいてはいけないと考えている人はいるわけです。正直な話、それが伝統的なやり方だと言われてきました。

▼なぜ「贖い」という考え方が出てきたのか

 さて、先ほど申し上げた「贖い」という考え方、信じ方ですが、これは宗教として妥当と言えるでしょうか。
 この「贖い」という考え方は、実はキリスト教のオリジナルではなく、もともとはユダヤ教の考え方です。
 ユダヤでは大昔から、子羊や山羊に人間の罪の身代わりとして死んでもらい、神さまの怒りを鎮めるという宗教儀式があったのです。
 その由来は、ユダヤ人たちが歴史的にあまりに周囲の王国から痛めつけられてきたために、「これは私たちが神から罰を受けているのだ。だから私たちの罪を神に赦してもらわなくてはいけない」という発想が生まれてきたところにあります。めちゃくちゃに大雑把なまとめ方ですが、無理やりコンパクトにまとめるとそういうことになります。
 まあそういうわけで、ユダヤにはそういう「贖い」という宗教観が染み付いていました。

 さて、イエスもイエスの弟子たちもユダヤ人であり、彼らが始めたことも実はユダヤ教の一種のセクト(分派)運動で会って、新しい宗教を作ろうとしたわけではありません。
 事実、イエスは新しい宗教を作らずに亡くなってしまいましたし、弟子たち(男性の弟子たち)も全員逃げてしまった……つまり一旦解散してしまったので、キリスト教の誕生はその後に起こったことなのです。

 イエスが生きていた時、彼は多くの病気の人を手当てし、多くの貧しい人を食事に誘い、命を救いました。そして、それが本当の神の国だと教えました。
 そもそも病気やしょうがいや貧乏は神の罰だと考えられていた時代ですので、そんな中で病人やしょうがい者や貧しい人々に直接触れ、一緒に食事をしたりするのは、神への反逆だと思われました。そういう意味ではイエスは処刑されて当然だったのです。
 しかし、イエスに救われた人たちは、イエスこそが本当の神の使いではないかと考えました。神の罰を受けて絶望の人生を生き、死ぬのを待っていただけの人たちが、罪の赦しを宣言してもらい、人間として扱われ、手当てをされ、食事を与えられ、生き返ったのですから、イエスことが救い主ではないかと信じ始め、イエスの弟子が増えたのも当然だと思います。

 ところが、そんなイエスは政治犯としてあっという間に殺されてしまいました。
 イエスを救い主ではないかと思って信じていた人たちにとっては、こんなにショックなことはありませんでした。
 なぜ神さまがイエスを助けず、見捨てたのか、全く理解できませんでした。
 そこで一旦は逃げた弟子たちも、やがて必死になって神の意志を見つけようと研究し始めました。
 彼らが神の意志を調べようとすれば、それは聖書(ユダヤの聖書。のちにキリスト教に受け継がれた時には「旧約聖書」と呼ばれました)にその謎が隠されているのではないかと読むのは当然です。聖書こそが神の言葉だと信じていましたから。

 そして、やがて彼らは見つけました。
 聖書の中に、彼らが「贖いの子羊」「贖いの山羊」によって神に罪を赦していただくという儀式を行っていたルーツを発見しました。また、人々の罪の身代わりに背負って殺されてゆく人間の姿が描かれている聖書の箇所も見つけました。例えば、以下のような聖書の箇所です。

 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
 乾いた地に埋れた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。
 見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みで会ったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。
 彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(イザヤ書53章1−5節)


 「これだ! これがイエスの死んだ理由だ」と弟子たちは思いました。
 そこから、イエスは人間の罪のために、そして罪を赦され、癒されるために自ら死を引き受けたのだという信仰が生まれました。

▼「贖い」は本当に必要だろうか

 この「贖い」の信仰は、イエスの弟子たちが必死になって、イエスの死を理解しようとした軌跡を示すものとして、非常に興味深いと思います。
 ただ、問題は、イエス自身が本当にそのために死んだつもりだったのだろうか? ということです。

 そもそも単純な疑問ですが、イエスは人間に「贖い」が必要だと考えていたでしょうか?
 イエスの死が「贖い」の死であること自体、弟子たちがどっぷりとユダヤ教の考え方に染まっていたからそういう結論を導き出しただけで、実はイエスは別のことを考えていた可能性はないでしょうか?
 当時のユダヤ教の発想は、人間は元々罪深く、神は人間を罰する代わりに何か他の生物の命を奪うことによってのみ、なだめることができるというものです。
 悪い言い方をすると、人間が自分を生きても良いと思うためには、何か犠牲が必要だということです。そういう宗教だったわけです。
 しかし、イエスはそう考えていたでしょうか?

 イエスは、人の赦しを宣言するために、身代わりの生贄(いけにえ)など求めたりはしませんでした。そうではなく、一方的に罪の赦しを宣言しました。
 また、イエスは病人やしょうがい者を手当てしたり、貧しい人と食事をするときにも、無条件でそれらの人びとのところに出かけて行ったり、連れてきたりして、一緒に食事をし、それが神の国を体験することだと思えました。
 そんなイエスの発想の中に、「人間には贖いが必要だ」などということがあったでしょうか。
 http://ichurch.me:三十番地キリスト教会ではそのように考えません。
 そのかわり、イエスは、無条件に、どんな人でも人間として扱われ、そのままで生きている意味があるということをいつも全身で示してくれていたのだと信じたいのです。
 つまり、人間には贖いが必要ではないのです。贖いが必要だと思っている宗教の信者はいるかもしれませんが、私たちはそう考えないのです。

▼そもそも最後の晩餐はあったのか

 もう一つの問いは、最後の晩餐は本当に行われたのか、ということです。なぜそんなことを問うのかというと、イエスの死の意味を示す食事は弟子たちとだけ行われた、信者だけのクローズな食事だったというのが、「洗礼を受けていないと聖餐を受け取ることはできない」と言っている人のもう一つの理由だからです。

 まず、「贖い」という発想自体がイエス的ではないので、最後の晩餐が行われて、イエスの死の意味をイエス自身が覚えておけというのはおかしいという仮説を立てることができます。
 それから、そんなに大事なイエスの死の意味を記念し受け継ぐような食事なら、なぜヨハネによる福音書には最後の晩餐の場面が他の福音書のように描かれてはいないのでしょうか?

 そもそも聖書の読み方の問題ですが、福音書という書物は著者がいろいろな資料や、礼拝で使われていた式文(儀式で読まれる決められた文章)を引用して編集した結果出来てきたものというのは、現在では常識になっています。
 そこで、一番最初に書かれたマルコによる福音書の「最後の晩餐」(主の晩餐)の記事を読んでみると、面白いことに気づきます。
 最後の晩餐の記事をすっ飛ばして、その前後をつないで読んだ方が繋がりが良いということです。
 最後の晩餐の直前はこんな文章です。

 「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。……(中略)……だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(マルコによる福音書14章18−21節)

 最後の晩餐の直後はこんな文章です。

 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまづく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。(マルコによる福音書14章27節)

 最後の晩餐の記事をすっ飛ばして読むと、弟子たちの裏切りというテーマが繋がっていることがわかります。
 また、最後の晩餐の記事では……

 
 一同が食事をしているとき……(22節)

 ……から始まりますが、この言い方はすでに18節で、

 
一同が席に着いて食事をしているとき……(18節)

 ……と使われているので、なぜもう一度言う必要があるのかな? という疑問が浮かびます。ちょっと不自然です。
 つまり、どうもこの最後の晩餐(主の晩餐)の記事が、独立した一つの言い伝えで、それがこの場所にマルコによってはめ込まれたのではないかと考えることができるのです。

 さらにこれを裏付けるのは、パウロの手紙です。
 マルコによる福音書がいくら最初に書かれた福音書だと言っても、紀元後70代だと言われています。
 しかし、パウロによるコリントの信徒への手紙(1)が書かれたのは、それより20年ほど前の50年代だとされています。そこに、マルコが書いたのとそっくりの主の晩餐の記事が収められています。

 
すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。(コリントの信徒への手紙(1)11章23−25節)

 これ、あまりにもマルコによる福音書の場面の描写と似過ぎていると思いませんか?
 少なくともここで言えることは、50年代から70年代まで、イエスの最後の晩餐に関する記事はほとんど変わっていないということです。

 さらにパウロの手紙を深読みします。
 パウロの手紙における「主の晩餐」の記事も、どうやらここにはめ込まれたような感触があるのです。
 パウロの手紙における「主の晩餐」の記事の直前はこうなっています。

 
あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも神の教会を見くびり、貧しい人たちに恥を書かせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。(コリントの信徒への手紙(1)11章22節)

 直後はこうです。

 
従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。誰でも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身による裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。……(中略)……わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。(コリントの信徒への手紙(1)11章27−34節)

 こうして読んでみると、パウロがコリントの教会の人たちに対して、問題が生じていることに忠告しながら、主の晩餐についての言い伝えを引用し、そして忠告を続けているというふうに読むのが自然に感じます。
 そう考えると、先に参照した「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り……」というのは、すでにパウロより前から伝えられていた定型の文章ではないかと考えられます。

 実は定形文を一番使う場とは、礼拝です。
 礼拝では、大事な出来事を何世代も伝えてゆくことが要求されるのですが、その場合、込み入っていたり、長い文章が無理です。それに、礼拝に参加する多くの人が文字が読み書きできなかったり、文字を読み書きできるような紙やインクを手に入れることができないほど貧しい……というより紙やインクがあまりに貴重で高価すぎる時代でしたから、現代のように文書として記録してみんなで共有するというのも無理です。
 そうなると、暗唱できる程度の文字数の定型文が、一番正確に、誰でも、そして何世代でも伝えることができるメディアだということになるわけです。
 従って、どうもパウロもマルコもこの定型文を引用した可能性が高いということは、これが事実の記録ではなく、もともと礼拝の定型文として作られた文章だったという可能性が一番高いということになります。

 もちろん、このような定型文が作られた背景には、イエスと弟子たちだけの食事が何度か行われていたということは言えるでしょう。
 しかし、先に述べたように、イエスの死の意味そのものが、聖書の中の記事からひねり出された解釈だったとしたら、実は「最後の晩餐」そのものが、イエスの死の解釈からひねり出された式文だった、ということも十分考えられるわけです。
 ということは、イエスの死の意味を発見してから作られた場面ですから、実際にはそのような食事は行われていなかったと言えるわけです。

▼ふさわしくないままで、という言葉の取り違え

 さらに、パウロの手紙を見てみましょう。
 先ほど引用した箇所の中に……

 ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。誰でも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身による裁きを飲み食いしているのです。(コリントの信徒への手紙(1)11章27−29節)

 これが「聖餐は洗礼を受けた人だけのもの」と言う根拠に使っている人もいるからです。いや、ここを根拠にしている人が多いのです。

 しかし、よく読めばおかしな話です。
 そもそも、ふさわしいか、ふさわしくないか、「自分をよく確かめたうえで」というのはおかしいです。洗礼を受けたかどうかというのは、事実としてはっきりしているわけですから、別によく確かめなくても済むはずです。
 では、なぜ「よく確かめ」なくてはいけないのでしょうか? それは、洗礼を受けたかどうかにかかわらず、自分のことをふさわしいかどうかよく考えろということですよね。他に考えようがありません。

 この聖書は以下のように続きます。

 
そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。……(中略)……わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。

 つまりパウロは、自分にふさわしいということがちゃんと確認できていない人、あるいは主の体のことをわきまえずに飲み食いする人がいるせいで、「弱い人や病人がたくさんおり、多くの者が死んだ」と言っています。
 この時代は、聖餐というのは、小さなパンやカップ1杯のぶどう酒だけの儀式ではなく、同じ信仰を持つ人たちが夕食を共にする中で聖餐式が行われていました。
 ですから、待ち合わせないで、先に食べてしまう人がいるために、後から来た人たちが十分食べられないで、栄養失調に陥る人たちがいたということなのですね。
 「主の体」というのは、教会の人の集まりそのもののことです。その主の体をわきまえないで、先に来た人、それも比較的豊かで自由な時間のある人たちが先に食べてしまって、後から来た労働者階級、奴隷のような人々が食べられないで体を壊すようなことがあれば、何が主の体か、というのがパウロが怒っている理由なのですね。
 そして、「空腹が我慢できないなら、家で食ってから来い」と言っているわけです。

 そういうわけで、この「ふさわしくないままで」というのは、全く洗礼を受けているかどうかという話は関係ない言葉なのです。

▼さらに主の晩餐について言えば

 さて、一旦「これは式文の言葉であって、事実の記録ではありません」と切って捨てた「主の晩餐」(最後の晩餐)の言葉ですが、これもちゃんと読み直すと、この食事に参加した人たちが決して「ふさわしい」人間たちかというとそういうわけではありませんね。
 そもそも裏切り者と呼ばれているユダが最初からこの食事に参加していますし、結局他の男性の弟子たちも、三度「知らない」と言ったシモン・ペトロを筆頭に、みんなイエスを見捨てて逃げてしまったんですね。そのためにイエスは一人ぼっちで死ななくてはいけなくなりました。
 そういうわけでは、いくら頭でイエスを信じているつもりだったとしても、結局はみんな逃げてしまう、「ふさわしくない」人たちだったわけです。しかし、イエスはそういう人たちと食事をしたということなのですね。
 ですから、そもそもイエスの「主の晩餐」にふさわしい人などいない、というのが、この「主の晩餐」の式文に込められた意味なのであって、この儀式に参加する人が、他の人のことを「ふさわしくない」などと裁くのは、ちゃんちゃら可笑しいということになのであります。

▼そもそもイエスの食事とは

 さて、「主の晩餐」または「最後の晩餐」というものが事実ではなく、またユダヤの「贖い」という発想の元に生まれたもので、その教え自体イエス自身とマッチしないということを確認した上で、「では、イエスの食事とはどんなものであったのか」ということを考えてみたいと思います。

 とにかくイエスは、「神に罰されている」と言われていた人に無条件に触れ、癒し、食事に招いた人です。
 福音書に収められている5000人の共食、4000人の共食の物語は、イエスと一緒に食事をした人たちがいかに喜びに満ちあふれたかをよく伝えています。
 イエスは腹が減った人を、腹が減っているという理由だけで、食事を用意しようと弟子たちに申し伝えたわけです。
 そもそもイエスが洗礼を人に施したという証拠など一つもありませんし、イエスの恵みに触れるのには何の資格も条件もいらないのです。

 この有名な5000人の共食の話も、4000人の共食の話も、歴史的事実だとは考えられていません。
 そもそもガリラヤ湖の湖畔で、4000人、5000人の人口を持つ街すら無かったと言います。この数字は誇張であるか、あるいは、イエスが亡くなってから、次第にエルサレムを中心に増えていった信者たちの数を、後付けで書き込んだものではないかと考えられます。
 例えばマルコによる福音書の5000人の共食の話を読むと、12のかごにパンがいっぱいになったと書いてあります。
 そして、4000人の共食の話では、7つのかごがパンでいっぱいになったと書いてあります。
 この12と7という数字が、エルサレムにとどまった12人のユダヤ人中心の教会の指導者と、ユダヤ人の律法を守らなくても良いと考える人たちへの伝道に出た7人の伝道者たち(使徒言行録6章1−7節)のことを指しているという説もあります。十分考えられることです。
 そして、この使徒言行録の記事でも、この12人の弟子たちと7人の福音伝道者たちが食事を分配する仕事をしてはいましたが、その食事は洗礼を受けた人だけに限定されていたとは一言も書かれていないのです。
 5000人だとか4000人だという数字は、いかにイエスの食事を受け継ぐ運動の恵みを受けた人が多かったかということを示す誇張の数字だったとは考えられますが、いかに洗礼を受けた人が多かったかということを示す数字ではありません。そんなことは物語には書いていないからです。
 むしろ、これらの物語は、イエスがいかに気前よく人々に食事を振る舞ったか、その精神を伝えようとしたと考える方が自然でしょう。

 そういうわけで、要するに、イエスの食事は気前よかったわけです。
 そして、気前があまりによく、しかも一緒に食べるということをしたために、彼は逮捕され、処刑されました。
 このことは現代人には理解しがたいことかもしれませんが、身分の違う人と食事をするというのは、それだけの覚悟が必要だったのです。
 当時のユダヤ社会はカースト制でした。神に一番近い清い仕事が大祭司でした。そして、祭司や律法学者などがそれに続き、一般庶民、そして奴隷、貧農、ホームレスと身分が下がるほど、神から遠い汚れた存在であると見なされていました。
 神から遠い汚れた存在はそれだけで罪人と見なされていましたが、そのような人と、そのような人より身分が上の人が食事などすると(いや、接近するだけで)汚れが移るとされていました。つまり、身分が下の、神から遠い人と食事をするだけでも社会秩序を乱す罪深い行為とされていました。
 ということは、イエスは当時の社会では、罪深いことをあえて行ったということになるわけです。
 それを彼は人々に見えるところで公然と行ったわけです。
 命をかけて、人間はみんな神から見れば平等だということを社会に訴えかけたのです。

 このイエスの思い、願いを受け継ごうとするならば、彼の食事に参加するのに資格が必要だとかどうとか主張すること自体がおかしいことです。

▼愛餐と聖餐は別か

 ちなみに余談めいた話ですが、よく「愛餐と聖餐は違う」、「愛餐はオープンにして良いが、聖餐はオープンにしてはいけない」という人がいます。

 先ほどもパウロの手紙に触れた時に述べましたが、実は聖餐という儀式は、信徒たちの夕食の中で行われました。ですから、そもそも、聖餐と愛餐の区別はなかったのです。愛餐の中で、聖餐だけが資格を必要とする儀式だったという証拠も全くありません。
 パウロの手紙を見れば、「主の晩餐」の式文を引き合いに出して、空腹かどうか、空腹なら先に家で食べてこいと言ったり、食べるものが無くなって飢えてしまう人がいるじゃないかと言っているのですから、これはしっかりした量の食事のことを言っているのです。
 ですから、元来聖餐といえば、ちゃんとした夕食のことだったのです。

 それではいつ頃から聖餐だけが愛餐から切り離されて、パンとぶどう酒だけの儀式になっていったのか、そこは私にはまだわかりません。これから勉強する中で、明らかになってゆくことでしょう。
 ただ、これはあくまで推測ですが、キリスト教の礼拝がもっぱら日曜日の朝に行われるようになり、その礼拝がキリスト教の儀式の中心になっていったことと関係があるのではないかと思っています。その時点で、聖餐は主の「晩餐」ではなくなっているからです。
 また、3−4世紀頃には確立していたと言われるミサでも、参加者全員に食事が振る舞われたというような話は聞いたことがないからです。
 しかし、いずれ次第にこのことも明らかになってゆくでしょう。

 ただ、大切なことは、もともと聖餐は愛餐と一体化したものであったのであり、もともとオープンな夕食であったということであり、そのため、「愛餐はオープンで、聖餐はクローズ」などという主張は全く的外れだということです。

▼洗礼から聖餐へ、にこだわる人たち

 さらに、「恵みは『洗礼から聖餐へ』であって、その逆はありえない」という、わかったようなわからないような言葉遊びをしている人たちもいます。
 よくわからないことを言っているので、放っておいても良いのですが、まあ少し関わっておきますと、これもナンセンスです。

 まあ、洗礼も聖餐も神のお恵みですよということで、それ自体はいいのです。
 しかし、それに順番があるというね、もう。何を言っているのかわかりません。
 要するに、「洗礼を受けた人が聖餐を受けるべきなのだが、それは洗礼が先で聖餐が後だからである」と言っているのですが、これは、「出発しないと到着はできないので、出発が先であり到着が後である」と言うのと同じで、同じことを言葉を変えて2回言っているだけなんですね。こういうのを「循環論法」と言うそうです(笑)。

 そしてこういうことを主張する人たちは、なぜ逆に「聖餐から洗礼へ」という順序がありえないのか、ということをきちんと論理的に説明できません。
 なぜ「聖餐から洗礼へ」という順序で神さまのお恵みが来ないのでしょうか。逆の順序があっても全く問題ないのではないでしょうか。そもそも、神さまのお恵みというものに順序があると人間が主張すること自体おかしいのではないでしょうか。

 こういう人たちは、「聖餐の意味もわからないのに、聖餐を受けても無意味だ」と言うのですが、別に聖餐の意味など分からなくても構わないのです。
 そもそもイエス自身が「聖餐の意味」(つまり贖い)といったことを考えて食事をしていたこと自体が考えにくいということは先に述べた通りですし、イエスの食事があまりに開けっぴろげにオープンだったら彼は処刑されたわけですし、そういうことを考慮すると、「聖餐の意味がわからないのに、聖餐を受けるな」と主張するのは全く筋違いです。

 また、「聖餐の意味」(つまり贖いの教義)を理解するには、ある程度の知的な能力が必要ですが、そうなると、例えば贖いの教義が理解できない幼い子どもや、知的しょうがいのある人は聖餐を受ける資格がないのでしょうか?(知的しょうがいとは何か、という問題については、これまた結構込み入った話で、それを話し始めると長くなってしまうので、ここではあまり深く考えないことにしますが)。
 そんなことはありえないでしょう。
 イエスは「幼子のように神の国を受け入れる者でないと、神の国には入れない」または「幼子を受け入れない者は、神の国に入れない」と言いました。幼子こそ神の国の住人であって、贖いの教義をちゃんと理解できる大人こそが招かれているとは誰も言っていないのです。(まあちゃんと理解できている信徒もどれくらいいるのか本当は眉唾なのですが)。
 また、知的しょうがいを持つ人についても、イエスの生きていた当時の捉え方でいけば、「悪霊の取り付いた人」ということになるのでしょうけれど、そのような人についてもイエスはどんどん自分から近づいて行ったということは明らかです。
 それなのに、しょうがいのある人を排除するというのは、全くイエスの思いとはかけ離れた「差別」です。

 というわけで、何かイエスの思いであったかということを考えれば、このような差別が許されて良いはずがありません。

 そして、「聖餐から洗礼へ」という順序がありえないかという話ですが、そういうわけではありません。
 聖餐を分け隔てなく受け、みんなが神さまの前には同じ平等な人間であるというイエスのメッセージを、食べるという体感
から人はだんだんと知ることができます。
 まあ、例えばバッハの音楽は「音楽による説教だ」と表現されたものですが、同じたとえを用いれば、聖餐というのは「食事による説教」なのです。
 それは言語によるものではありませんが、食べるという人間にとって一番大切な基本的な行いを通じて、お腹がいっぱいになり、身も心も満たされるという体験による、神さまの「良い知らせ」(福音)の表れなのです。
 その恵みの体験から、洗礼を受けたいと思う人も出てくるでしょう。
 聖餐という恵みだけでなく、洗礼という恵みも受けたいものだという人も、本当に聖餐が意義深く行われている教会なら十分ありうるでしょう。
 そういうわけで、当然「聖餐から洗礼へ」という順序もあるのです。これが考えられないような、想像力の欠如した人の言うような「恵み」についての話を、これ以上聞く必要があるでしょうか・

▼結び

 というわけで、長々とお話ししてきましたが、要するに「洗礼を受けた人だけが聖餐をいただくことができる」という根拠は全くナンセンスであり、私たちは「誰でも聖餐に参加できる(嫌な人は参加しない)」という考えに至っているわけです。
 信者でなくても、聖餐式のパンもぶどう酒(ぶどうジュース)も召し上がってください。
 むしろ「どうぞ」とオススメしたいのです。
 いかがでしょうか?

(2015年10月24日記)


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〔初版:2013年1月23日〕

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