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 Q. クリスチャンしか天国に行けないって本当ですか?
 長らく交際していたキリスト教の彼女と別れました。
 理由は、「一緒に天国に行けない事」でした。
 相手の事を思えば思う程、一緒に天国に行けないと考える事が苦痛に感じると言う事でした。彼女の家族にも熱心なクリスチャンがいて、「一緒に教会に行けない、天国に行けない」という事を理由に、反対されています。
 彼女の通っている牧師先生にもお話を聞きに行ったこともありましたが、あまりにも排他的過ぎて対話自体が出来るものではありませんでした。
 その牧師さんはキリスト教の事しかしらず(知る必要もないのでしょうが……)、そのクセに一方的に否定され続けるだけでした。
 彼女の「一緒に天国に行けない事」を、解決出来るヒントは無いものでしょうか?(一番良いのは私が天国に行ける事なのですが……)
 「なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです」という一節を聖書の中に見つけました。一つはココがヒントになるのかと思いました。
 「聖なる者」とは何なのか? 神さまに守ってもらえる? でも天国には行けない?
 洗礼を受ける事が天国に行ける条件なのでしょうか?
 天国に行ける条件……。天国に行けない条件……。「一緒に天国に行けない事」の彼女の心の不安……。
 それらどれかでも解決に導けるヒントが欲しいのです。

(2012年1月、メールでのご相談より)

 A. そんなことはありえません。

脅しのマインドコントロール

 これはなかなか難しい課題だと思います。
 キリスト教にも様々な宗派があり、あなたのお付き合いされていた方の信仰の内容の一端や、彼女の所属教会の牧師についてのお話をうかがう限り、かなり科学的とは言い難い信仰や、学問的な聖書の研究とは全く程遠い教義を固く信じ込み、それに背くと天国に行けないとか、天罰が下るとか地獄で永遠の苦しみを受けるなどといった脅しによってマインドコントロールを受けている可能性が高いです。
 死んだ後、天国や地獄があるといった考えは、はっきり言っておきますが、古代人の迷信のひとつです。
 そんなものを真面目に信じて、信じないと罰を受けるというマインドコントロールの中に、彼女もその家族も生きているのです。
 これは洗脳されている状況に近いので、その考えを頭の中から消して、もっと自由な生き方を手に入れるためには、その人をその環境から出して、全く別の環境に連れて行って再教育しないと不可能です。
 ちなみに、あなたが聖書の中に見つけた、
「信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされている」という言葉は、キリスト教初期の伝道者であるパウロによるものですが(コリントの信徒への手紙(一)7:14)、この言葉は自然に読めばわかるように、「夫婦の片方が信者でなくても、神さまは2人とも愛してくださって、特別な関係として祝福してくださるよ」という意味なのです。
 ですから、本来は夫婦の宗教が異なっていても、問題はありませんし、実際ふつうの教会の信者さんで夫婦揃って信者という人は実は少ないのです。
 神さまは本来すべての人類にとっての神なので、洗礼を受けたとか受けないということで人間を分け隔てしたりはしないのです。

行くことろではなく、来るもの

 また、天国というものが死後の世界にあるものという思い込みも、一体どの時点でキリスト教の歴史の中に組み込まれた思想かは私は定かに知っているわけではありませんが、それも確実にそうだとは言い切れないのです。
 例えば、イエスは
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコによる福音書1:15)と宣べ伝えていますが、この言葉を見るだけでも、イエスが「神の国(あるいは天の国)は死んだ後に『行く』所だ」とは思っていないことがわかります。神の国は「近づいてくる」つまり、「行く」のではなく「来る」のです。どこに来るのかというと、「この世」になってくる、「この世」に現れるというのです。
 また、別の福音書ではイエスは、
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカによる福音書17:20-21)とも言っています。神の国が私たちの「間」にある。つまり、神の国をこの世に実現するのは、私たち自身の関係に鍵があるということを述べています。
 その他にもいくつかの理由があり、これらのことから、神の国というのは、私たちのお互いの関係が、神の愛によって支配され、全ての人が愛を分かち合う関係に入ることで、この世に「神の国」としか言いようのない世界が誕生するということをクリスチャンは夢見て、愛の交わりと奉仕活動に力を入れているのです。
 ですから、死んだ後天国に行く、ということは、実はあまり重要ではないと考えているキリスト教の宗派の人びともたくさんおられるのです。

マインドコントロールからの解放

 彼女に関しては本当にそんな信仰を刷り込まれてお気の毒だと思います。
 でも、もう別れてしまわれたのですか……
 先程も申しましたように、彼女はマインドコントロールを受けている可能性が非常に高いです。
 あなたが彼女とまだ付き合っていて、どうしても彼女と一緒になりたいというのなら、1つにはあなたがその教会の洗礼を受けるという方法があります。
 けれども、その教会の牧師が相手では、毎週通ってその牧師の説教を聴いているうちに、大変しんどくなってしまう可能性があります。
 もう1つは、彼女が受けている洗脳を解くということです。つまり再教育ですが、そうなると、先の牧師や、彼女の家族を敵に回す事になるでしょう。彼女の教会と家族から彼女を奪い取るくらいの強引な行動が必要になるかも知れません。そして、その事が彼女自身を非常に苦しめる可能性もあります。
 ですから、それもリスクが大きい選択と言えます。
 一番穏やかなのは、彼女とじっくり話し合いながら、「あなたの信じている信仰だけが唯一のキリスト教信仰ではないのですよ。もっと自由になれるんですよ」ということをわかってもらうことなのですが、それはかなり時間と労力と忍耐の要る作業です。
 それを何としてでもやりなさい、絶対に頑張りなさいとまでは、私には言えません。あなた自身の精神もボロボロに疲れ果ててしまう可能性がありますから。そしてそういう努力をしたからと言って、必ず報われるという約束はできませんから。
 あくまでどうするかはあなたの選択ですが、自分の幸せのことは自分でよくお考えになることをお勧めします。

あったらいいね

 さて最後に、本当に天国はあるのか無いのかということなのですが、これについては「わかりません。でもあった方がありがたいですね」と答えておきましょう。
 マインドコントロールというのは、基本的に「地獄に堕ちるぞ」という脅しで恐怖を与えて人の心を支配します。
 しかし、通常、仲の良い人や家族などが亡くなった時、あるいは一緒に暮らしていた動物が死んだ時、私たちは「このままお別れなんだ」という思いになじめないことがよくあります。
 できれば、向こうの世界でも再会できたらいいのにな、と思う事があります。子どもが不慮の事故や障がい、病気などで亡くなった場合など、あちらの世界では苦しみのない状態で安らかに過ごしていて、私もいつか死んであちらに行った時には、もう一度抱きしめたい……と思う事もあるでしょう。
 あるいは、憎くてたまらない、それこそ「死んでしまえ」と思っていたような人でも、案外実際に死んでしまって棺桶に収まっている姿を見たりなどすると、「こちらでは敵でしたが、あちらでは『おつかれさんだったね』と肩を叩き合えればいいですね」と声をかけたくなります。
 こういう思いは自分が歳をとるほど強くなるのかもしれません。若いときは「死んだ後の世界でも顔を見るなんてまっぴらだ」と思っていたのが、歳を取ると「あちらでは和解できたらいいのにな」と思うようになったりするのです。
 ましてや、親しい人、大事な人などが亡くなった時には、死後は安楽に憩っていてほしいと思うものです。
 ですから、簡単に「死後の世界などありません」とは言わない方が良いと思います。
 もちろん天国がある科学的な証拠などはありません。しかし、「あちらの世界があったら、あちらでもまた会いましょうね」と声を掛け合うことで癒される心もあるのです。
 ですから、誰でも分け隔てなく、どんな人の命も、何をやった人の命も、この世の人生で味わった疲れをゆっくり癒せるような場所が、死後の世界に「あったらいいね」と言うことにしておくのが生きる知恵というものではないかと思います。


〔初版:2012年3月13日〕

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