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 Q. キリスト教主義の大学への指定校推薦のために洗礼を受けるというのは動機が不純ですか?
 こんにちは。私はあるキリスト教主義学校に通っている高校生です。学校での聖書の授業を通してキリスト教に興味を持ったのはもちろんですが、キリスト教主義の大学への指定校推薦を使いたいと思っています。教会の正会員であることが条件になっているので、洗礼を受けることを希望していますが、このような動機は不純でしょうか?
 できれば、来週が申し込みの締め切りなので、今日(土曜日)教会の牧師さんにお話をして、明日(日曜日)にでも受けたいのですが、そのようなことは可能でしょうか?

(2019年9月、メールで寄せられたご相談より)

 A. まったく不純ではありません。ただ、もう少し早く言ってほしかったです。
▼不純ではありませんよ

 キリスト教主義学校における大学への指定校推薦の条件として、キリスト教会の会員であることや、あるいは教会に通っていることを条件の1つに加えている大学があります。そのため、進学のために洗礼を受けなければならないのでは、と思うのですよね。
 結論から言いますと、その動機は不純ではありません。
 というのは、大学への進学はあなたの人生にとっても一大事ですから、あなたはきっとこれから学びたいことややりたいこと、将来の進路などをあなたなりにしっかり考えていらっしゃると思います。そうやって考えた結果として、他の進路の可能性を蹴ってでもその大学に入りたいと思っているのですから、その真剣な思いが不純だとは少しも思いません。むしろ、そういう事を機会にしてクリスチャンの仲間に加わってくださるのは、本当に喜ばしいことです。

▼長いお付き合い

 ただ、洗礼を受けるということは、クリスチャンになる(キリスト教の信者となり、教会の会員となる)というのは、大学のように数年で卒業したり辞めたりできるものではありません。
 という言い方をすると、ちょっと怖いかも知れませんが、要するにクリスチャンになるというのは、ずっとこの先の人生も神さまのことを思いながら生きていきますという約束を神さまと教会の人たちの前で約束するということなのです。
 もちろん、そうは言っても、実際にはだんだん教会に行かなくなったりして、いつのまにか「クリスチャンなんかやめちゃったよ」と言っている人も世の中にはたくさんいますし、だからといって誰も追いかけてはきませんが、たとえば、結婚する人に「何年かしたら離婚するだろう」と予想して結婚する人はまずいないと思うんですね。
 同じように、洗礼も「とりあえず受けておこう。やめるかも知れないけど」と思って受けてもらうのは困るのです。
 もし洗礼を受けてクリスチャンとなるのなら、神さまとの長いお付き合いをする気持ちで、受けて欲しいのです。

▼奉仕も求められます

 あと、教会員となることについて一言添えておくと、教会というのは、ただお話を聞いたり、感謝をしたりするだけでなく、奉仕をする場所でもあるということです。
 と言っても、いきなり教会の掃除をやれとか、オルガンを弾けとか言っているわけではありません。たとえば一番簡単な奉仕は、礼拝に出席することです。礼拝は英語で「サーヴィス(service:奉仕)」とも言いますが、まさに礼拝をするだけで神さまを喜ばせる奉仕だとキリスト教では考えているのです。
 他にも1人でやりやすい奉仕としては、お祈りをするということがあります。ことさらに身体を動かして働かなくても、心の中だけでできる奉仕です。
 それ以外に、教会員になると大抵の教会では月定献金の奉仕が求められます。1ヶ月に1回は自分で決めた金額の献金をしてくださいというわけです。専用のお月謝袋のような封筒をくれたりもします。もちろん金額は自分で決めて良いので自由です。極端な話1円でも良いのですが、大体大人の働いている人で3000円から、収入に応じて5000円とか10000円とか。相当収入のある方で50000円くらいする方もおられますが、要するに全く自由です。ちなみに私が高校生の時は月に500円くらい献げていました。ご参考になりますでしょうか?
 献金はとても大切な奉仕で、ただ神さまへの感謝のしるしというだけではなく、教会の活動を経済的に支えるという責任を果たすという意味もあります。教会はこれまで2000年近くもイエス・キリストを伝えて世の中に奉仕してきましたし、これからもそれを続けてゆきますので、1人の教会員としてその活動を支え、参加してゆくためにも献金は大事です。
 金額を決める上で、絶対に無理をしてはいけませんが、自分で決めた額を定期的に献げるということが、洗礼を受けた後には求められるということを覚えておいてください。

▼意外と教会は時間がかかる

 それから、洗礼を受ける場合、大抵の教会では、今日話をして明日洗礼を洗礼を受ける、といった風にトントン拍子には進みません。
 たまに今日言ったら今日とか明日とか素早い対応をする教会もあるにはありますが、そういう教会は往々にして強引に会員を増やそうとする何らかの悪意を持ったカルト的な教団である場合が多いので、気をつけてください。そのような即座の対応をされた場合は、すぐにその教会を立ち去ってください。おそらくしつこく追いかけてくることまではしないでしょう。
 プロテスタントの教会であれば、通常は「洗礼準備講座」といった名前での学習に参加することが求められます。そこでキリスト教の基礎知識や信仰生活の送り方、教会員としての務めについて学ぶわけですが、大体4回くらいに分けて行うことが多いです。毎週日曜日にやって1ヶ月ですね。1冊の本を通読して読み終わるまで、と決めているところもあるようです。その講座を受けないと洗礼を認められないので、洗礼を受けるまでには時間がかかります。
 また、準備講座や基礎講座が終わった後、洗礼を志願する人は「信仰告白」といった文章を書いて提出することを求められたり、それを役員会の会議の時、あるいは礼拝の場で朗読してくださいと求められる場合が多いです。これは、「信仰を自分の言葉で言い表す」ということが、プロテスタント教会ではとても重んじられるからです。難しい言葉を使う必要は全然ないのですが、短い人で400字詰め原稿用紙1枚から、長い人で4枚くらい用意する人がいます。
 信仰告白を用意すると、今度は教会の運営の責任を任されている役員会または長老会が、志願者の受け入れを検討し、決議をします。この会議で承認しないと、たとえば牧師の一存で勝手に洗礼を授けたりするなんてことはできません。そして、この役員会(長老会)というのが、大体第1日曜日の礼拝後に開かれます。つまり会議が月に1回しかないのです。ですから、最悪の場合、牧師に洗礼を願い出ても、1ヶ月近く待たされる場合がありますから、そのような点もお含みおきください。
 まあこれも再び結婚のたとえですが、たとえ結婚を希望しても、実際の結婚式はずいぶん先になるというのと似ています。一生続く前提での約束ですし、その間に気が変わらないようであって欲しいので、教会の方も全く急がないのです。

▼まとめ

 そのようなわけで、まとめますと、あなたがキリスト教系大学への進学を志望して、指定校推薦の資格を得るために洗礼を受けたいと思うのは、全く不純な動機とは見なされません。
 ただ、実際に洗礼を受けるまでには結構時間がかかるということ、また教会員としての責任も若干生じるということ、そして教会とのお付き合いは原則的には長くなるのだということはご了解いただかないといけないかなと思うのです。
 そのような教会側の事情のために、あなたの指定校推薦の出願の時期に間に合わず、あなたにとって残念な対応になってしまったとしたら申し訳ありません。


〔初版:2019年10月7日〕

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