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 Q. クリスチャンって、死んだら教会の地下に埋められるんでしょ?

A  「お墓ってのは高いねぇ、土地代と墓代、別々に取られるんだよ。これがバカにはなんないんだよねぇ」
B  「そうそう、あれもねーピンからキリまであるそうなんですがね」
C  「はああ、そんなもんですかぁ……」
A  「え? お宅、キリスト教でしたよね。お墓はどうするの?」
B  「あのーやっぱりあれですか? 亡くなった方は教会の地下に埋められるんですか?」
C  「いや、そういう教会は珍しいと思いますがぁ」
A  「えー、でもこのまえテレビでやってましたよ。パリの地下墓地の潜入ルポかなにか」
B  「そうでしょう。本当のところどうなんですか?」
C  「いやー、教会の地下にっていうのは、日本の教会ではあんまりない、ていうかまずないと思うんですが……」

(2002年1月ごろ、まきこまれた会話より)

 A. いやー、まさかー、いまどきそういうことはないですよ。

「地下墓地」とは


  「地下墓地」というのがありますね。カタコンベ、あるいは、カタコウムという。
  もともとは古代ローマの地下墓地のことをそう読んでいたそうです。初期のキリスト教徒がローマ帝国の迫害を逃れて、殉教者たちを葬り、また生き残った者たちも地下に潜伏して信仰を守り続けたことから、キリスト教の地下墓地や地下礼拝堂などを総称して「カタコンベ」と呼ぶようです。(女子パウロ会公式サイト「Laudate」参照) トルコのカッパドキア地方の、地下何十メートルにも何層にも掘られた、地下都市も有名ですね。

  ヨーロッパ、特にフランスの地下墓地も有名と言えば有名ですが、これは迫害とは違ういきさつでできたもののようです。
  もともと古代においては火葬が主流だったローマ帝国が、キリスト教を国教にするにあたって次第に土葬に変わり、やがて、「同じ土葬ならば、神の御前で葬られたい」という信徒の欲求から、教会の地下に埋葬されるようになっていったようです。
  しかし、時代が下るにつれて、(土葬なので遺体をそのまま埋めるために)遺体の腐敗臭がひどくて聖堂に入れないほどになってしまったり、現実問題として埋葬スペースに限界があり、新しい遺体を埋葬するために地下を掘り起こせば、過去の腐った遺骨があふれ出してくる、などの問題が生じたため、教会の地下に埋葬するのを禁じた教会法を定めたともいいます。(三十番地キリスト教会でおなじみの「とま」さんの情報による)
  じっさい、フランスの地下墓地探検のサイトなどを見ていると、埋葬されていると言うよりは、膨大な量の遺骨が積み上げられて放置されているという様子がよく見られるようですね。

アメリカでは

  アメリカ映画などを観ていると、古き良き時代も、現代も、広い墓地で、これから埋められようとしている棺桶を囲んで、葬儀の参列者たちが頭を垂れて牧師の話に耳を傾けている、という場面をよく見ます。アメリカでは圧倒的にキリスト教が強く、また宗派ごとの宣教も自由になされてきたこともあって、こうしておおっぴらに葬儀を出すことができるのでしょうか。
  アメリカは何と言っても国土が大きいですし、霊園も日本の墓地に比べたら、とてつもなく広大な敷地を持っているところが多いですから、ひとりひとりの棺桶をああやって埋めることができるんですね。
  また、アメリカというところは、世界一エンバーミング(死体保存技術)が進んでいるところで、それというのも、使徒信条のなかにもある(この世の終末における)「身体のよみがえり」を文字通り信じる宗教右派の影響が強いからだという話です。ですから、アメリカで高級なエンバーミングをしてもらえれば、死んだ後何年たっても、いまにも目を開けて起き上がってきそうなくらい、生き生きとした姿を残して死体を保存してくれます。
  さらには、それだけエンバーミング処理をほどこした遺体が、地中の虫や微生物の害をうけないように、棺桶にいれるだけでなく、棺桶をうめる穴も、コンクリートでガッチリ固めたものにするというお金持ちもいるそうです。いつ「復活の時」が来てもいいように!

日本では

  日本ではキリスト教の教会は一部を除いてほとんどの教会が、敷地も狭いし、会堂もそんなに大きくない割には敷地いっぱいに建ててあったりします。
  つまり日本には、自前の土地で墓地を持てるような敷地を持っている教会はまずないのです。
  それなら、いっそのこと地下に墓地を作ってしまえばいいではないか、というのは名案ですね! たしかにそのほうがいいのかも知れません。しかし、地下を掘るのも地上の建物を建てるよりお金がかかるのです。お金のない日本の教会で、そこまでやれるところはまずありません。
  日本の教会の場合、葬儀に関しては、仏教との違いと言えば、お坊さんに来てもらってお経をあげてもらうのと、キリスト教の場合は讃美歌を歌い聖書を読み、といった礼拝になっていることくらいが違うだけで、式が終わってからの「ご出棺」については、葬儀屋さんがやりますから、ほとんどいっしょです。
  式が終わると、遺族・親族はマイクロバスやタクシーに乗って霊柩車の後を追い、斎場で遺体を焼いてもらい、お骨を拾って帰ってきます。
  そしてそのお骨をお墓に……ということになるわけですが、ここでお寺の場合でしたら、お寺の敷地に中にちゃんと墓地があるのですね。あるいは「○○家の墓」というものもあったりする。だからそこにお骨は入ります。
  キリスト教の場合は、そういう墓地の敷地がないので、公共の墓地のなかに「教会墓地」として、個人で買う区画よりも少しばかり大きな墓地の区画を確保し、教会員のお骨をそこに収めるという形が多いようです。(なかには、教会の地下に、大きな納骨堂を持っている教会もありますが、数は少ないです)

  ですから、個人の骨の観点から見れば、「家」の墓という共同墓地におさめられてゆくのか、「教会」という共同墓地におさめられてゆくのかの違いだけであって、いずれにしろ個人の墓ではないというのが(キリスト教であろうとなかろうと)日本のお墓の特徴のようです。

  まぁそういうわけですから、さすがにクリスチャンとはいえ、迫害も墓荒らしもないと思われる今日、教会の地下に埋められるということはありません。
  おどろおどろしい地下墓地の光景を想像していたみなさんには残念でした。

〔最終更新日:2006年4月30日〕

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