質問者 「え? キリスト教、同性愛ダメでしょう?」
30番地教会牧師 「いや、そんなことないですよ」
質問者 「だって、いやーやっぱり、同性愛は異常じゃないですか」
30番地教会牧師 「それはあんたがそう感じてるだけで、同性愛者から見たら、あなたが異性が好きなのが異常に見えるはずですよ」
質問者 「聖書に同性愛はいいって書いてあるんですか?」
30番地教会牧師 「いいえ。むしろ『死ね』って書いてあります」
質問者 「じゃあダメなんじゃないですか、やっぱり」
30番地教会牧師 「でも、そんなこと言い出したら、同じ聖書に『反抗的な息子は死ね』って書いてあるんですよ?」
質問者 「そんなー。ムリですよ。人口が半減してしまう」
30番地教会牧師 「じゃあ、あなたも人にムリなこと要求しちゃいけないんじゃないかな」
(いつも教会のあちこちで話題になっている問題)
−目次−
この項目は、たいへん長文のため、目次を設けておきます。各項目をクリックしてお進みください。
なお、どこから読んでもよいように、各項目の内容には重複している部分もあります。
また、こんなに長文にはつきあってられないよ、という方は、「パート4」だけでも読んでください。
そして、「聖書には同性愛を排除する記事しかない」ということが誤りであることを知ってください。【パート1】
1.序論:「聖書に書いてあるから」ということ自体が聖書に対する冒涜である。
2.旧約聖書には同性愛についてどう書いてあるか。
2−1.レビ記 18章22節/20章13節「女と寝るように男と寝てはならない」
(1)古代イスラエルでは、性行為は子孫繁栄のためにある。
(2)性は男中心の家系存続のためにある。
(3)性行為の主体はイスラエル人の男性である。
(4)そこで、レビ記再検討。
(5)歴史の文脈を無視するのは間違い。
【パート2】
2−2.創世記 19章「『ソドミー』という言葉の由来」
2−3.申命記 22章5節「女は男の着物を身に着けてはならない」
2−4.補足:レズビアンは同性愛者差別以前に女性として差別されている。
【パート3】
3.新約聖書には同性愛についてどう書いてあるか。
3−1.パウロの手紙その1(ローマの信徒への手紙 1章24−32節)
(1)パウロが本当に非難したかった問題
(2)パウロに性の問題は相談できない。
3−2.コリントの信徒への手紙T 6章9−10節、および、テモテへの手紙T 1章9−10節
性犯罪と性的虐待への批難
【パート4】
3−4.初代教会はどのように対応しているか(使徒言行録 8章26−40節):福音宣教者フィリポをめぐって
性的少数者を積極的に受け入れようとした伝道者
3−5.イエスはどのように言っているか(マタイによる福音書 19章10−12節)
自ら性的少数者差別を引き受けようとしたイエス
【パート5】
4.同性愛者差別を超えるために
4−1.なぜ同性愛を罪だと思ってしまうのか。
(1)深刻なホモフォビアの被害
(2)「一神教」や「真理はひとつ」についての間違った理解
(3)聖書の間違った読み方……歴史を無視した鵜呑み
(4)「文字通りに読む」という勘違い……差別意識の正当化
(5)何かを否定すれば自分の正しさを証明できるわけではない……信仰が暴力に変わるとき
4−2.隠された差別
@「赦し」を装う差別
A「憐れみ」に隠された差別
4−3.同性愛者差別をなくすために
(1)「罪」とはなにかを考え直そう。
(2)聖書が全てだと思い込まないようにしよう。
(3)「自分たちが正しい」と思い込まないようにしよう。
〔最終更新日:2006年3月28日〕
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