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 Q. 牧師先生を好きになってしまいました(その牧師先生は既婚者ですが)

 教会に通っているうちに、好きな人ができました。その人は牧師先生です。ただ、問題がひとつあります。牧師先生には奥様とお子様がいらっしゃいます。自分が罪深いことをしていることはわかっています。でも、自分の気持ちを止められません。一体、私はどうしたら良いのでしょうか。。

 A. 愛しているなら、おやめなさい。

▼実はよくあることです

 牧師というのはモテるのです。
 人前できれいごとばかり言って、誰にも憎しみを持たないように見えるし、なんでも話しを聞いてくれそうだし、神聖な儀式を司式したりするので、「この人はどんなに清らかな心の持ち主だろう」とか「この人はきっと優しい人に違いない」と勘違いをされたりします。また、教会では人々を指導するリーダーですから、非常に頼もしく見えたりすることもあります。
 しかし、牧師といえどもただの人間です。もちろん心底善良な人間もありますが、大抵の人は凡人で、心の中では怒りや妬みや憎しみや欲望が渦巻いていたりするものなのです。つまり、普通の人間だということです。
 普通の汚れた人間である。それが牧師という職務自体を大幅に汚すものではありません。牧師というのは、あくまで職務なのであって、牧師の人柄がどうであるといったこととはほぼ直接には関係がありません(そうでないと牧師など誰もできなくなる)。
 でも、牧師の「仕事をしている姿」だけを見ていると、冒頭に述べたような大きな勘違いや幻想を抱いてしまいがちです。
 恋愛感情を抱くと、大抵の人間を美化して捉えがちですが、牧師の場合、その美化の度合いが他の職業よりも大きくなりがちなのです。
 重ねて言いますが、これは美化された姿であり、幻想です。そして、そのような牧師に憧れを持ってしまう人は案外多いのです。そのような、相手の実像を知らない勘違いの恋愛感情を抱いているのかもしれない、とよく自問自答してみましょう。

▼牧師の不倫

 その上で、好きになった牧師は結婚しているということですね。
 好きになってしまったら、相手が結婚していようが、自分が結婚していようが、見境いがつかなくなってしまうというのはよくあることです。それほど自分が寂しいということの裏返しではあるのですが。
 しかし、実際にその恋愛感情をぶつけてしまったらどうなのでしょうか。告白してしまったらどうなるでしょうか。
 まず、その行為は牧師の自我を大きく揺るがせます。
 牧師といえども人間です。そして、人から嫌われたい牧師もほとんどいません。
 だいたい、牧師がその仕事を志すようになった動機について、「主の召命(しょうめい=招き・使命を与える)を与えられました」とか、「親の仕事を見て憧れました」、「お世話になった牧師の牧会に感動しました」など、様々な理由を述べる人がいますが、根底には教会という場所で自分が愛されること、好かれること、認められることへの欲求が潜んでいる場合が非常に多いのです。
 そういう人に「好きだ」と告げることは、牧師を舞い上がらせます。そこから、あなたを過剰に意識し始め、あなたを特別扱いするようにしたり、えこひいきをしたり、逆に結婚している自分がそのようなことをしてはいけないという罪悪感から不自然に遠ざけたりといった、不自然な距離の取り方をするようになってしまいます。
 そのような牧師の不自然な行動は、必ず牧師の判断を誤らせ、またそのような不自然さは教会員にすぐに見抜かれます。見抜かれた末に、牧師とあなたの不適切な距離感を問題にされたら、もうその牧師は教会では生命を絶たれたと同じです。
 牧師が不倫をすることは、ほぼ100パーセントの確率で、その教会からの牧師の追放につながります。
 なので、あなたが愛する人をそのような窮地に陥らせたくなかったら、その恋愛は実行してはなりません。
 それでも告白したいんだ、お付き合いしたいんだ、個人的に会いたいんだ、というのは、本当の愛ではありません。それは「私の欲望が満たせれば、あなたの迷惑などかまわない」というエゴイズムなのです。
 ですから、その牧師のことが好きならば、なおさらその牧師のために、想いは秘めておいてください。

▼牧師さんへ(牧師が陥る誘惑について)

 こういう事態が起こるには、牧師自身にももちろん責任があります。
 牧師自身が自分に対する特別な好意を持っているかもしれない人を心のどこかで求めてはいないでしょうか。
 また、牧師自身が、自分に特別な好意を持ってくれているかもしれないムードを漂わせている人に、思わせぶりな態度をとって期待をもたせたりしていないでしょうか。
 殊更に人に対して冷たい態度で接する必要はないでしょうが、親切すぎたり、優しすぎたりすると、人に誤解されることもあるのを常に意識しておいたほうが良いでしょう。
 この世に寂しい人は多いです。そして、その寂しさを埋めてあげたいという気持ちが心に湧いてくることがあるのも事実です。しかし、あなたのその優しさと、相手の寂しさが、相手にあらぬ幻想を生じさせてしまう場合があります。
 特に、決められた時間に限定された面接、決められた料金などによって守られているカウンセラーと違い、牧師は時間と料金が決まっているわけではありませんし、愛の行為、奉仕という名目で相手の役に立とうと努力すればするほど、相手の側にも甘えが生じてきたり、「私は特別扱いされているのではないか」という誤解が発生したりします。
 また、悪い牧師は、そうやって特別な想いを抱いている人間が、一生懸命自分や教会に尽くしてくれることを利用する場合もあろうかと思います。
 難しいことですが、個人的に優しすぎない、個人的に親切すぎない、お人好しにはならないということも、牧師として大切な心構えであろうかと思いますが、いかがでしょうか。
 

〔初版:2016年12月20日〕

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