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 Q. 教会って病気を治してくれたりするんですか?
  「この前近所の人でキリスト教だという人がいて、うちの人がずっと糖尿で調子悪いからって話してから、『うちの教会に来なさい』って言うのよね。それで行ったら、「ハーッ!!」と気合を当てるっていうかぶつけられると、人がどーんと飛んでいったりとか、バッターンとか倒れたりするもんだから、それでこれはすごいから、まぁとりあえず見てもらおうってことになって、糖尿で調子悪いっていう話をしたら、ほかにもすい臓が悪いとか言われて、『ぜひ通いなさい』とか言われちゃったんだけど、どうしよう。お金たくさんとられちゃったらどうしよう、ねぇ」
  

(ときどきたまにあります、こういう質問)

 A. あんまり、あてにはなりません。まずは、どうぞ病院へ。

  ある宗派のキリスト教では、病気治しまでも守備範囲にしているところもあるそうです(あえて、ここではどこの教派・宗派かは申し上げません)。
  しかし、ほとんどのキリスト教の教会では、個々に病気が治ったことを神さまに感謝する、ということはあっても、病気を治すための加持祈祷をするというようなことはありません。
  祈りによって病気が治るということがありえないとは思いません。そういうことはきっとあるでしょう。そういうことを専門に研究している神経免疫学会という学会組織もあるくらいですから、心の状態と病気とは密接な関係があることは認められているのです。
  ただ、多くの教会の牧師は、神経や精神と病気のメカニズムについての専門的な知識の伝授も訓練をも受けていません。たいていの牧師は、神学校で聖書を学び、キリスト教の教理を学び、キリスト教の歴史を学び、教会や学校や病院などの現場実習などを行います。が、信仰による治療については訓練を受けていないのです。病院での実習にしても、病気治しの訓練をやるのではなく、カウンセリングの勉強のために病院に入るのです。ですから、病気治しのできる牧師を見つけるのはむずかしいでしょう。その道にくわしいと思われる牧師も私は個人的には知っていますが、彼の能力でさえ、万能ではないようです。

  祈りによって病気を治すことが不可能だとは断定できません。
  いまから約2000年前のイエスの時代には、それがふつうの医者の仕事でした。また宗教者の仕事でもありました。当時の病気は、その原因はすべて悪霊がとりついたか、罪を犯して神に呪われたかでしたから、悪霊の仕業なら悪霊を追い出さなくてはならなかったし、罪を犯したゆえに神に罰せられているのなら、そのまま神のみわざをじゃませずに放置するしかない、せいぜい神の赦し(ゆるし)を請う程度のことが、医者兼宗教者の仕事だったのです。
  それを、イエスは神になりかわって「私が赦す! 歩きなさい」とやったものだから、当時の保守的なユダヤ教指導者層を仰天させたのです。罪を赦す権威を持っているのは神おひとりなのですから、その神にかわって、「あなたは赦された。立ちなさい」とやれば、これはもう神への冒涜以外の何物でもない。お前は一体何様だ! ということになってしまうのです。この型破りの医療行為が彼を十字架に送る原因のひとつになったのは間違いありません。

  イエスという人はたいへん霊力というか精神力というか魂の力が非常に強かった人なのだと思います。
  悪霊というものが実際に存在すると、そこにいるすべての人が信じていて、イエス自身も悪霊の存在を前提にして話をしている。そのような状況で、悪霊と対決し、勝利することができたイエスは、本当に悪霊のとりついたがゆえに病気になった人を癒すことができたでしょう。それは、今でもスリランカやアフリカの一部の地域では現実に今でも行われている事です。
  もちろん、全ての人が癒されたというわけではなかったでしょう。そういう人は残念ですが、イエスのもとを去っていくということになったでしょう。
  しかし、癒された人のなかにはイエスの弟子になってついてゆこうとした者もいたでしょう。そういうことが起こると、イエスの周りを取り巻いているのは、癒してもらった人間たちだけということになり、「先生のまわりにいるのはみんな先生に癒された者なのだ」という勢いをもった集団になるのです。
  そういう集団になってエルサレムに入ってゆかれたわけですから、このイエス集団に、当時のユダヤ教の指導者たちが、あわてて危険視するのも無理はないという気はします。

  残念ながら、現在では、病気の原因はウィルスや病原菌であったり、免疫力の低下ということだったりで、誰も悪霊のせいだとは思っておられないようです、すくなくとも文明国と呼ばれているところでは。悪霊の存在を信じてもいない人の前で、悪霊を追い払う祈りや儀式をしても、効き目があるはずがありません。これが現在のわれわれの社会で、宗教的な病気治しがはやらないことの理由です。
  せいぜい先祖の供養が足りなかったとか、その程度の理由なら「思い当たるかなぁ」と思う人がいる程度でしょうか。
  しかし、「なにか悪いものがついてるから……」というのは、そう本人も、周囲の人も、癒す人も信じきっていないとありえない話です。
  ほとんどありえない状況ですから、どうぞ、まずは病院に行ってみてください。
  最近の病院は、「セカンド・オピニオンを聞いてもいいですか?」という風に、他のお医者さんにかかってみることをオープンにすることもできるような雰囲気になってきていますから、納得がいくまでお医者さんをいろいろ当たるのがいいんではないでしょうか。
  そして、それらの治療の努力が報われますように、神さまの御心をお伺いしながら、快癒のためのお祈りをささげることしかできないのではないでしょうか。

〔最終更新日:2006年3月14日〕

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