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 Q. 神が唯一絶対なら、どうしてたくさん宗教があるんですか?

 質問者1 「よくキリスト教は、唯一絶対の神とか言ってるけど、それならどうして世界には他にもたくさん宗教があるんですか? ああ、そういうことを言ってるから、他の宗教を否定して宗教戦争するんだ。でも現実に他の宗教があるんだから、事実と違うことを言ってるわけでしょ?」
 質問者2 「だいいち、あの三位一体ってのも、よくわからないよね。3つで1つなんでしょ? 3つは3つじゃないの?」

(2001年6月に受けた質問より)

 A. 実は、唯一でも絶対でもないのです。

  いや、ほんとに。
  たとえば、唯一神の根拠としてよく引き合いに出される「十戒」も本当は、唯一の神だけで、他には神のような存在はない、なんてことは言ってはいないのです。
  見てみましょうか?
  十戒の出だし……

  
「わたしは主(ヤハウェ)、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
   あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20章2−3節)


  ……となっていますね。
  ここには、
「あなた(イスラエル人たち)が奴隷生活を送っていたエジプトにはいろいろな神々がいたけれども、その中でも私だけがあなたをエジプトから導き出したんだよ。だから、あなたは私以外の神を自分の神にしてはいけないんだよ」という呼びかけがなされていると考えられるのです。
  つまり、他の神々の存在を否定しているわけではないのですが、
「あなたにとっての神」は私だけだと宣言しているのです。

  主(ヤハウェ)という神さまは
「契約の神」とも呼ばれます。
  じっさい、この十戒を授けられたシナイ山で、モーセを代表とするイスラエル人たちは、主(ヤハウェ)と契約を結びます。
  もともとは「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼ばれた、非常に小さな単位の部族の守り神であったと思われたこのヤハウェが、後にはこうしてモーセのもとに集まったイスラエル12部族連合の神となり、やがてユダヤ人の神となってゆきます。それが今度はキリスト教会の神となってゆくことで、ユダヤ教の「民族宗教」という枠を越え出てゆくきっかけを得ます。
  というわけで、ヤハウェも歴史と共に、
契約相手を広げてきたことで、世界に展開したといえるわけです。
  また、ユダヤ教=ユダヤ人と言われますが、このユダヤ人というのも、当初はもちろん血統主義で、ユダヤ人の子どもでないとユダヤ人でない(民族主義というのはそういうものですよね)はずなのですが、それでも今はユダヤ教の信仰告白と教育と試験をパスしてユダヤ教徒になれば、民族の出自にかかわらず「ユダヤ人になれる」のですから、ずいぶん間口が広がったというか、やはり
契約本位になったと言えるわけです。

  そんなヤハウェの宗教が、どうして「唯一絶対」を強力に主張するようになったのかというと、事情は複雑ですが、決定的なのはAD380年にテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教にして以来、キリスト教が帝国の政治と密接不可分に加担するようになってからだということは言えるのではないかと思います。
  政治権力者である
ローマ皇帝は、ひとつの信仰で帝国を統一することによって帝国の政治的安定を図りたかったし、教会の最高位聖職者であるローマ教皇は、政治的権力の支えによって教義や教会の規律を統一したかった……。つまり、帝国と教会は利用し合ったのです。
  しかし、同じキリスト教でも実にさまざまな考えがあるのがじっさいです。教皇派は自分たちと考えの異なるグループを「異端」と呼んで、徹底的に弾圧・排撃してゆきました。そのすさまじさは、かつてキリスト教が受けた迫害よりもひどかったとも言われます。

  そうやって、ヨーロッパはいったん、
公式にはキリスト教しかない状態になりました。その後、11世紀に西ローマと東ローマが完全に決裂し、西方ローマ・カトリックと東方正教会が分裂しても、あるいは16世紀に宗教改革が起こって、プロテスタントがカトリックからたたき出されても、基本的には唯一のキリスト教の神に対して誰が一番正しい信仰を持っているかの論争はなされても、キリスト教以外の宗教が存在するという前提はなかったのです。そして、自分たちのグループの信仰以外の信仰を持つものは、全て「異端」または「異教徒」だったのです。
  
  いま、二度の大戦を経験し、米ソの冷戦によって第三次大戦の恐怖も経験し、ソ連崩壊後は地域紛争がクローズアップされ、軍事も政治も報道も情報化時代になり、まがりなりにも
「グローバルな世界」とか「世界平和なんてことが意識されるようになって、やっとこさキリスト教の中にも、「諸宗教との対話」なんて意識が芽生えてきつつあるところです。まだまだ不十分ですが。

  そうです。あなたの言うとおり、世界にはたくさんの宗教があり、信仰があります。
  もちろん、危険な反社会的行為や迷惑な詐欺事業を展開する、カルト集団も存在します。しかし、誰にも迷惑をかけず、まじめな信仰を求める人たちもたくさんおられます。
  キリスト教以外にも、イスラム教、ヒンドゥ−教、仏教などなど、尊敬すべき伝統的宗教は多く存在します。
  それらを求める全ての人たちと、その思いに対して、敬意をはらわなければなりません。
  すべての宗教戦争は神ではなく人間が起こしたものです。キリスト教は唯一でも絶対でもありません。他の神さまや仏様とも仲よくやっていけるのです。ただ
クリスチャンは、多々ある神さまの中で、特にヤハウェとだけ契約をした者、そういう生き方を選んだ者だということ。それ以上でも以下でもないのです。
  その生き方は、やってみて悪いもんじゃないよ、と私は言えます。

〔最終更新日:2001年7月4日〕

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