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 Q. イエスが結婚してたって本当ですか?

 「イエスが結婚してて、子どもまでいたって本当ですか?」
 「あー君も読んだんでしょ、『ダ・ヴィンチ・コード』」
 「いや、ぼくは映画だけですけど。けっこう面白かったっすよ」
 「私は本で読みました。映画はどうしようかな。オドレイ・トトゥが出演してるんだよね。ちょっと興味あるかなぁ」
 「で、実際のところどうなんですか?」
 「イエスの結婚ねぇ、どちらでもいいけど、可能性としては低いだろうねぇ。子どもがいたということになると、もっと可能性低いよね。だいいちそういう証拠が聖書の中にない」
 「でも、聖書も教会が内容を改ざんしたんでしょう?」
 「それも証拠がないんだよね。確かに写本はいろんなところで見つかっているけど、せいぜい書き損じや、説明の書き加え程度の違いであって、そんな大掛かりな変更がなされた形跡はないんだよね。微妙な違いばかりだよ。まぁつまり聖書の写本というのは、思うほど信頼度が低いわけではないんだよね」
 「なんだかつまんないですね」
 「そうね、事実というのはあんまり面白くないかもね。だからフィクションの小説のほうが面白くて売れるんだよね。」

(2006年5月ごろ、授業でそれとはなしに出た雑談をもとに再構成した会話)
 A. 可能性はかなり低いですよ。

『ダ・ヴィンチ・コード』のインパクト?


  『ダ・ヴィンチ・コード』の映画が封切られたのが2006年、小説はその1−2年前からずいぶん話題になってましたね。アメリカではもっと早くから反響があって(アメリカの本だから当然ですが)、2003年に発行された小説に対して、翌2004年には反論本が出版されています。
  私は2006年になってから、『ダ・ヴィンチ・コード』の小説を読み、映画も観て、日本語に訳された反論本もいくつか読みました。

  私個人としては、『ダ・ヴィンチ・コード』がそんなに危険な本だとは思いませんでした。しかし、それは私がリベラルなプロテスタントだからでしょうか。「イエスが人間であって、子どもまで作っていたとしても、別にそれはそれでいいんじゃないの?」というくらいの感覚でした。
  それに、この『ダ・ヴィンチ・コード』、どんなに作者が小説の冒頭で「すべて事実に基づいている」と書いていようが(言うのは勝手ですね)、ラストシーンは結局、小説の登場人物に過ぎない女性(ソフィー)が、実はイエスの末裔にあたる娘なのだ、と書いてしまった時点で、「これはフィクションですよ。作り話ですからね」と小説自身が宣言してしまっていることになります。
  すべてが本当に事実に基づいているのであれば、「実際のイエスの子孫は誰で、どこそこに住んでいる、この人だ」と特定しないと意味がありません。
  しかし、この小説は、本物のイエスの末裔を明かしてしまうのではなく、小説の登場人物に過ぎない人が、イエスの末裔なのだ、と言っているわけですから、結局作り話でしかないのです。ですから、何をむきになって反論しているのか、大変ですなぁと、私などは思っていたのです。

  たしかに、この『ダ・ヴィンチ・コード』に登場する「オプス・デイ」という組織は、あまりにも激しく悪役として描かれていますし、自分に肉体的苦痛を与えて喜んでいるような不気味な修道僧などが登場してくるので、小説も映画も「オプス・デイは怪しい、危ない」というレッテルを貼ったことになります。これについてはカトリックとしては自分たちの名誉のために反論せずにはおれないでしょう。じっさい、オプス・デイの日本支部の広報室から製作元のソニー株式会社に、「映画にはフィクションであることを明記したテロップを入れてください」という丁重な手紙が送られていたようです(『「ダ・ヴィンチ・コードの真相』ドン・ボスコ社、2006年、参照)。じっさい映画館で観たときは、その「フィクションである」というテロップが入っていました。
  また、プロテスタント保守派からは、「イエスは人間であった」とか「聖書は人間が書いたもので、長年の間に修正・改ざんがなされてきている」とか「本当は初期のキリスト教徒のなかには女神崇拝があったのだが、教会がこれを弾圧し、滅亡させた」などなどといった著者の主張にがまんができず、いちいち反論を試みています。しかし、その反論本の内容のおよそ半分は、「聖書は神の霊感によって書かれた書物だ」とか「聖書の記述には一言一句あやまりがない。なぜなら聖書にそう書いてあるからだ」などといった自己完結的な信仰表明による水掛け論に終始しています。ダン・ブラウン氏も相当思い込みが激しい人だと思いますが、思い込みに思い込みをぶつける形の反論なので、はっきり言って対話にはなっていません。

  しかし、まぁ先ほどにも申し上げたとおり、どんなに自分の書いたものが事実に基づいているのだと著者が思い込んでいても、最後にイエスの末裔を小説中の登場人物にしてしまった時点で、これはフィクションに過ぎないではないか、と考えざるを得ないわけです。


■実は目新しくないテーマ

  イエスが結婚していたという仮説や、子どもを作っていたのではないかという憶測は、そう新しいものではありません。
  ニコス・カザンザキスという人は『キリスト最後のこころみ』という作品(1948年以降?)で、既にそういうことを言っており、この作品は『キリスト最後の誘惑』(ウィレム・デフォー主演、マーティン・スコセッシ監督:この人の宗教観も独特、1988年)というタイトルで映画化されて、ずいぶん物議をかもしました。この作品のなかには、イエスが結婚していて、実は十字架で死んだのではなく、子どもを育てたとか、ユダの裏切りは初めからイエスとの共謀だった(2005年に発見された「ユダの福音書」では、そういうことになっているそうですが)とか、興味深い主張がいくつも盛り込まれています。
  また、バーバラ・スィーリングというオーストラリアの学者は『イエスのミステリー』(1992年、日本語訳はNHK出版から1993年)という本で、そういうことを書いていましたし(彼女は死海文書を独特な方法で解読した結果そういうことがわかったのだ、と主張するのですが、その具体的な方法を一切明かさずに、一方的に言いたいことを言ってる、というのがこの本です。信頼度は非常に低い)、まぁこの手の話は、ずいぶん前から話題には上っていたのです。
  ダン・ブラウンが小説のネタ本として使った本も明らかにされています。マイケル・ベイジェント、ヘンリー・リンカーン、リチャード・リー共著の『レンヌ=ル=シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』(日本語訳1997年)という本です。
  イエスとマグダラのマリアの結婚、そして二人の子ども、という推測は、実は目新しいものではなく、けっこう古臭くなりかけた話なわけです。

  にもかかわらずダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』(2003年)がこんなにヒットしたのは、謎解きやサスペンスの面白さや、ルーブル美術館のような誰でもあこがれるような場所が舞台になったり、主人公たちの逃亡・追跡劇の面白さ(まさに映画向け)など、娯楽性に満ちていたからだと思います。じっさい書いてあることが事実であろうとなかろうと、娯楽作品としては楽しめる作品です。ちょっと登場人物の心理の掘り下げなどが浅いような気がして物足りないという人もいるかも知れませんが。


■たしかにマグダラのマリアは特別な存在であったように感じられる

  さて、イエスがマグダラのマリアと結婚していたという説はよく聞くのですが、実際のところどうなのでしょうか。

  正典(せいてん:正式にキリスト教の規範、あるいは根本的な基本文書であると認められた文書)の福音書は、書かれた時代の風潮も反映していて、女性に関する記述には乏しいです。たとえ女性が登場しても名前も明らかにされないような場合が多いですし、たとえばイエスが5000人の人々を満腹させたという奇跡物語は4つの正典福音書(マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネ)に記されていますが、その5000人というのも男性の人数であり、じっさいにはもっとたくさんの人がいたはずなのですが、女性と子どもの人数は数えない、ということをやってしまっているのです。

  そんな中でマグダラのマリアの名前、そして彼女もふくめて数名の女性の弟子たちの名前がきちんと記されていることは、注目すべきだと思います。
  そして女性たちのなかでも、たしかにマグダラのマリアは特に存在感の大きさを感じさせます。
  イエスが十字架につけられて死んだとき、男性の弟子達は逃亡してしまいましたが、女性の弟子達は彼の死に様を見届けました。その筆頭にマグダラのマリアの名前があります。
  
「また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である」(マルコによる福音書15章40節)
  他の福音書の同じ場面でも、女性たちは登場しますが、福音書間でその名前は食い違っています。にも関わらず、(ルカによる福音書には誰の名前も明記されていません)マグダラのマリアの名前だけは共通して登場するのです。

  また、安息日が明けてから、あらためてイエスの遺体の置かれた墓に赴いた女性たちの名前を見ても、やはり福音書間で共通しているのはマグダラのマリアの名前です。
  ヨハネによる福音書では、イエスの墓を訪ねたのはマグダラのマリア一人ということになっています。そして、復活したイエスと最初に話すことになるのもマグダラのマリアです。
 
 「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で『ラボニ』と言った。「先生」という意味である」(ヨハネによる福音書20章16節)
  これと関連のある伝承なのかも知れませんが、マルコによる福音書には、写本によっていくつかの種類の結末部分があり、いずれもいったん福音書ができてから後になって付け加えられた部分だと考えられているのですが、そのうちの一つにこういう場面があります。
 
 「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった」(マルコによる福音書16章9−11節)
  ここでも、やはり復活したイエスと最初に出会ったのは、マグダラのマリアになっています。しかも、マグダラのマリアと他の弟子たちの間には、見解の相違というかあるいは断絶のようなものがあったことが暗示されています。
  このように、正典の福音書を見るだけでも、マグダラのマリアという女性が、イエスと特に深いつながりを持っていた可能性はあると推測することはできます。そしてその深い関係が、他の弟子たちにとっては喜ばしいものではなかった可能性もあります。

  さて、福音書というジャンルの文書は、いま正典に収められている「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の4つだけではなく、もっとたくさんの文書が流布されていたというのは多くの人に知られた事実です。そしてそれらのいくつかは既に発見されており、「外典(がいてん)」または「偽典(ぎてん)」と呼ばれています。
  それら外典の文書のなかでも、特に『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウンが引き合いに出すのは、『フィリポによる福音書』と『マグダラのマリアの福音書』です。これらの文書の中に、イエスがマグダラのマリアの唇に接吻をする様子などが書かれているというわけです。

  これらの文書を正典の中に含めなかったのは確かに教会です。そして、なぜこれらの文書が正典から外されたのかというと、例えばダン・ブラウンはイエスとマグダラのマリアの結婚を隠蔽するために、教会がこれらを封印しようとしたのだ、と主張するわけです。また、教会は男性中心的な組織を確立するために、女性の神性や教会での指導的立場などを徹底的に排除したというわけです。


■教会が女性の権威を排除した、ということも言えなくはない

  イエスとマグダラのマリアが結婚していたかどうかはともかく、教会を男性中心の組織にするために、女性の聖職者が排除されていったということは、確かに言えるのではないかと思われます。
  最初の頃からキリスト教会には、さまざまに多様なグループが形づくられており、それが時代が下るにつれ、男性中心的な教会組織が「正統派」を名乗るようになり、国教として公認される頃には、男性中心的な権力者集団によって、女性の神職は排除され、異端として排撃されていった可能性は高いと私は思っています。

  例えば、
使徒言行録には、教会のごく初期から、ヘブライ語を話すキリスト者とギリシア語を話すキリスト者の間で、対立・分裂があり、それぞれに指導者を立てて別の道を歩むことを決めたと推測されうる箇所があります。
 
 「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで12人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。(使徒言行録6章1−6節)
  この記事では、食事の配分のことで不公平が起こったとしか書いてありませんが、結果論から言うと、ここで選ばれた7人の人たちが、12使徒に勝るとも劣らない働きをし、またエルサレムのユダヤ人以外の人にも伝道活動を展開するようになっていったことが使徒言行録のこの後の部分に記されていますので、事実上、12使徒とは別の7人の使徒集団を作って、別々に活動するようにしたのではないかと考えられているのです。
  「ヘブライ語を話すユダヤ人」とは、エルサレム周辺のユダヤ地方の出身者で、従来のユダヤ教の律法(ユダヤ教の戒律:男性器に割礼を施さなければならないとか、食べてはいけない食物リストがあったり)に忠実に生きながらイエスを救い主として信じる生活をしようとした人びとのことです。これに対して「ギリシア語を話すユダヤ人」とは、ユダヤ地方以外の出身者(ディアスポラといいます)で、ギリシア・ローマ世界の影響を受けていて、ユダヤ教の律法からも自由な生き方をしたいという人びとのことです。まだ、「キリスト教」として独立する以前の、ユダヤ教の一派と見なされていたこの人びとの間では、割礼をどうするとか、食事はどうするといったことが、根本的な宗教的対立になった可能性が高いのです。
  この使徒言行録の作者は(ルカによる福音書と同じ著者、使徒言行録はルカ福音書の続編です)、教会がエルサレムを起点とし、広くギリシア・ローマ世界に広がってゆく様子を一直線に描きたいので、教会の中に深刻な対立があったとは書きたくなかったのでしょう。しかし、じっさいには、律法からの解放という、根本的な福音理解の問題で、エルサレムの12人の教会指導者の方針とエルサレム以外の出身者である信徒たちの間には、簡単には埋められないギャップが生じてしまい、仕方なく、このギリシア語を話すユダヤ人向けの指導者を7人選んで、「そっちはそっちで任せるよ」という二方向展開になったと考えられるのです。

  前置きが長くなりますが、この時選ばれた7人の中に、フィリポという伝道者の名があがっています。この人は異民族、性的少数者や女性に対する伝道という点で、使徒たちとは大きく異なるタイプの伝道を行っています。
  たとえば、使徒言行録8章4節には、こんな記事があります。
 
 「さて、散って言った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」(使徒言行録8章4節)
  これなどは、ユダヤ人が差別して決して近づかないサマリア人のところに、フィリポは躊躇することなく入って行き、彼が民族差別の壁を越えていたことを示しています。
  また、彼はエチオピアから来た宦官に出会い、キリストのことを宣べ伝えます。そして……
  
「道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。『ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。』そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた」(使徒言行録8章36−38節)
  ……ということなのですが、宦官もユダヤ人が決して近づこうとしなかったタイプの人でした。男性器を取り去るなどの手を加えた人は、ユダヤ人社会からは排除されるのです。
  
「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない」(申命記23章2節)
  ……と書いてあるとおりです。しかし、フィリポはこういう掟による壁も乗り越えていったことが先ほどの宦官に洗礼を授ける様子でわかります。
  そしてさらに、このフィリポは、カイサリアという街で娘4人を預言をするスタッフとして活躍させるようになります。
  
「わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた」(使徒言行録21章7−9節)
  女性の預言者、つまり神の言葉を預かって人びとに伝える役割をする宣教奉仕者が描かれているのは、新約聖書のなかではここぐらいではないでしょうか。フィリポは女性の聖職者が存在する集会を形づくっていたわけですが、これは当時としては珍しい働きであったろうと思われます。おそらく、この、民族の壁も、性的少数者に対する壁も、そして性別の壁も乗り越えたフィリポという福音宣教者は、このような独特の働きゆえに、エルサレム教会には居場所がなくなり、別の街で独自の活動を行わざるをえなかったと思われます。
  そして、後にも先にも、女性の預言者が教会で活動していた、という記録は、聖書からは見られない。もちろんパウロの手紙にもたくさんの女性の名前が登場するように、女性の奉仕者が教会にたくさんいたことは知られています。しかし、女性の指導者がいたという記録は正典の文書の中には他にありません。このことは、初期の頃から、キリスト教会は男性中心的な指導者層によって固められていたということを示しています。

  そして、新約聖書の正典の範囲が決められてゆくプロセスで、女性が活躍する内容の文書、たとえば、『パウロとテクラの行伝』、『マグダラのマリアの福音書』などは、正典から外されてゆきます。(あの結婚嫌いで、女性の発言権を封じろと手紙に書いていたパウロが、テクラという女性スタッフとパートナーシップを結んで宣教活動するなんて内容なのですから面白いのですが、そういう文書は正典の中には入れられなかったのです)
  そういうわけで、教会の中から女性のリーダーシップを排除してゆくということは、確かに行われていたのではないかと思われるのです。

  ただ、ダン・ブラウン氏が言うような女神崇拝や性の儀式などとの関連はないようです。このあたりはブラウン氏の妄想でしょう。マグダラのマリアに代表されるような女性の聖職者たちが男性と同じように、イエスの教えを宣べ伝えようとしていたことは十分考えられるのですが、マグダラのマリアを女神としてあがめていたというのは、行き過ぎでしょう。

  また、これらの外典福音書は、いずれも成立の年代が遅く、2世紀になってから書かれたものとされるものが多いのです。イエスが生まれて死んでから100年以上もあとになって書かれたので、内容的に史実とおもわれるものはまずありません。
  正典に入っている福音書でも、1世紀の半ば以降に書かれて、イエスの死後30年以上たっている時期の成立なので、かなりフィクションと脚色が入っているのですが、外典はそれ以上にフィクションなので、信頼性は非常に低いのです。ですから文学としては面白いのですが、歴史上の事実を推測するには、ちょっと限度を超えているだろうと思われ、そういう意味では正典に入らなかったのも仕方がないだろうと思われます。


■「イエスは結婚していた」という説……ユダヤ人は若いころに結婚していて当たり前という考え方

  イエスが結婚していたとは正典福音書は一言も述べていないわけですが、「書かれていない」ということが、「結婚していない」という理由にはならない、と考える人たちもいるようです。
  というのも、イエスが生きていた当時のユダヤ人は、13歳か14歳ごろに、親たちが決めた許婚(いいなずけ:婚約者)と結婚させられるのが普通なので、イエスも、まだ世の中の人びとに現れる前、大工の息子として生きていた少年時代に、結婚していた可能性が高い、というわけです。それはユダヤ人としてあまりに当たり前のことなので、わざわざ福音書作家たちは書かなかったのだ、と考えるわけです。
  しかし、イエスが結婚していたのならば、なぜ福音書にそのことに関する記述が一切ないのかが疑問です。『マグダラのマリアの福音書』にイエスとマグダラのマリアの愛人関係を示す記述が合ったとしても、それよりも歴史的には信頼度の高い正典福音書が、そろいもそろってイエスの妻のことを書いていないのは疑問です。そこまで福音書の改ざんが徹底してなされたというのも疑問です。他にも福音書の間で、つじつまが会わないところや矛盾点がたくさんあるのに、それらに対するチェックはなされずに、妻の存在を明らかにした記述の排除だけがそんなにうまく足並みがそろうはずがないと思われるのです。
  もし、イエスが妻を同行させていたのであれば、どのようにイエスの活動をサポートしていたのか、二人の関係はイエスが大工をやめてからもうまくいっていたのか、イエスの弟子達がイエスの妻をどのように扱ったのか、そしてイエスが死んだ時、あるいは死んだ後、イエスの妻は何をしていたのか、たくさん疑問が湧きます。それらについて福音書は何一つほのめかしもしていません。したがって、イエスが13歳ごろに結婚していたとしても、30歳になって公に活動を始めた時期には、その妻はいなくなっていた可能性のほうが高いのです。
  亡くなったか、置き去りにして修行に出たのか。置き去りにしたのであれば、例えばマルコによる福音書3章31節以降のように、イエスの母と兄弟たちがイエスを取り押さえに来たときに、なぜ妻はいなかったのかということが疑問として残ります。

  佐藤研という日本の聖書学者は、『イエスとはなにか』(笠原芳光・佐藤研編著、春秋社、2005)という本の中で、イエスは一旦結婚して、早いうちにその妻を亡くしたのではないだろうか、という推測をしています。佐藤氏によれば、イエスのあの潔癖な女性観、結婚観(「隣人の妻をみだらな思いで見る者は姦淫を犯しているのだ」、「妻を離縁して再婚する者は、姦淫を犯す者だ」など)は、早くして愛する妻を亡くした者のメンタリティだ、ということなのだそうです。これもあくまで推測の域を出ませんが、妻を失ったイエスが、家庭も仕事も捨てて、荒野の住人バプテスマのヨハネのもとに行き、修行を始めたのではないだろうか、という推測は可能です。ただし、決定的ではありません。



■「イエスは結婚してなかった」という説……パウロの主張ほか


  同じユダヤ人でも、たとえば、新約聖書の中に多くの手紙を残したパウロは、人に結婚を奨励しませんでしたし、自分でも結婚していなかったようです。
  彼は、「結婚してはいけない」とまで人に強制することはありませんでしたが、彼自身は結婚にネガティブな動機しか見出せなかったようです(コリントの信徒への手紙一の7章以降には、彼が結婚についていまにネガティブな考えしか持っていないかが明らかにされています)。
  それでもパウロは、「こんな自分でも妻を連れて歩く権利があるのだ」という主張はしています。
  
「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」(コリントの信徒への手紙一9章5節)
  ここでパウロは、イエスの直弟子たちが妻を連れて歩いていることを引き合いに出しています。もしイエスが結婚をしていれば、パウロはまずイエスが妻帯していたことを引き合いに出すほうが、最も説得力ある論を展開できたのではないでしょうか。しかし、彼はそうしていません。妻帯者の例としてイエスの名前を出していません。ということはつまり、イエスは妻を連れて歩いてはいなかった可能性が高いということになるのではないでしょうか。(ハンク・ハネグラフ&ポール・L・マイアー共著、須賀真理子訳『ダ・ヴィンチ・コード その真実性を問う』いのちのことば社、2006、p.44参照)
  (ただし、これについては、パウロは自分の手紙の中で、生前のイエスのことについては何も記すつもりはなく、
「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」(コリントの信徒への手紙一2章2節)とはっきり言い切っているので、他の使徒のことは話すが、生前のイエスの生活には関心がないので、イエスを引き合いに出さなかったのだろう、という考え方もできます。ですから、パウロが言及しなかったからといって、絶対にイエスは妻帯していなかったという確証があるというわけではありません)

  また、もし、マグダラのマリアがイエスの妻であるならば、イエス死後、遺された妻を使徒たちが守ろうとしたはずではないでしょうか。イエスの母マリアについては、弟子たちが引き取って世話をするようにイエスは指示していますし、自分の妻についても何か言い残してもよさそうなものではないでしょうか。
 
 「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの息子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(ヨハネによる福音書19章26−27節)


■さがせば見つかるボロ……イエスの結婚を推測させるその他の要素

  イエスの死後、エルサレムの教会を牛耳った人物として、イエスの弟ヤコブが登場しています。そのような血縁関係がものを言うようになれば、縁者どうしでの権力争いにまきこまれて、イエスの妻や子は排斥された可能性もあるかも知れません。しかし、そのような事実があったというような痕跡も聖書には残っていません。ヘブライ語を話すエルサレムのユダヤ人信者と、ギリシア語を話すディアスポラのユダヤ人信者の対立はほのめかしているのに、イエスの妻子については何の痕跡も残っていないのです。
  もちろん本当に「聖書が改ざんされた」とかも知れません。しかし、もしもとの事実があるのなら、聖書の中には探せば見つかるボロがあるものなのです。、たとえば最初の教会分裂とか、福音宣教者フィリポのような人物の存在とか、正統派キリスト教と自称していた人々とは別の動きをする人の姿が、チラリとのぞかせるように聖書の片隅に書いてあったりするものなのです。しかし、マグダラのマリアと深い結びつきはあったとしても、結婚までして子どもまで作っていたというような話は痕跡ひとつない。
  もし唯一、痕跡らしいものと呼べる箇所があるとすれば、
マタイによる福音書4章13節「湖畔の町カファルナウムに住まわれた」というところ。そして、「イエスは家に帰られた」(マルコによる福音書3章20節)という証言。他にも、イエスがこのカファルナウムという街を「自分の町」(マタイによる福音書9章1節)としている箇所があります。
  当時のユダヤ・ガリラヤでは、成人男子は結婚しているのが当然で、結婚していない者は「異常者」と見なされたので、家を貸す人もいなかったはずだ、という推測です。たとえば、月足らずで結婚前から妊娠していたことが発覚していたマリアとヨセフの夫婦を、故郷の町でありながら泊まる場所を貸すはずの親戚たちにも見捨てられ、宿屋でも
「泊まる場所がなかった」(部屋がなかったのではなく)(ルカによる福音書2章7節)という差別性の強さから推測しても、妻帯してない「異常者」に部屋を貸すということもなかったのではないか。つまり、イエスは妻を連れていたのではないのか、という推測も成り立つのです。


■結び……やはりイエスの結婚は可能性が低い

  そういうわけで、イエスの結婚には確定的な証拠がありませんが、結婚していなかった確定的な証拠もありません。
  イエスは独身だった可能性もあるし、人生の早い頃(13−14歳)結婚していて早い時期に妻を亡くした可能性もありますし、イエスがマグダラのマリアと婚姻関係にあった可能性もあるし、彼女とは結婚の関係ではなく、むしろ愛人のような関係であったとも考えることができます。
  マグダラのマリアは確かに他の女性よりもイエスとの心のつながりが大きかったのでしょう。
  しかし、結婚し、子どもまでつくっていた可能性は低いのではないかな、とわたしは思っています。
  それでも、イエスの愛した女性であったという想像は楽しいものです。イエスもひとりの人間であった、というわけです。
(2006年7月17日記)

〔最終更新日:2006年9月3日〕

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