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 Q. イエスが復活したって本当ですか?

Aさんの証言 「わたしはね、職場の病院でいろんな医者とか看護士とか事務方とかね、話をするけれども、みんなが口をそろえて言うには、“イエスの処女降誕の話はまあいいとしても、イエスの復活については、これは納得がいかない”と、みんな言いますなぁ。これは日ごろ病院という場所で働いている者の実感ですな。死んだ人間が生き返ることはない。これはすべての医学が最終的に敗北するポイントですな。どんな人間でも死を逃れることはできない。そして死んだ人間は戻ってこない。こういう話をずっとしているとね、私も、復活というのは、難しい教義だなぁとつくづく思いますな。復活ということがなかったら、キリスト教を宣べ伝える上で、どんなに楽になるかわからん」

Bさんの証言 「私は先生の本を読んで仰天いたしました。復活がただの弟子たちの幻覚に過ぎなかったかのように書かれてあります。私は数十年も前にこの復活の出来事につまずき、そして今はやっと聖霊の導きによって信じることが出来るようになったものです。私のその信仰を踏みにじられているような気がしました。即刻、修正したほうが、先生にも出版社の名誉のためにもよいことと存じます」

(2007年1月から3月にかけて直接対話し、またメールで寄せられた証言から)
 A. 復活したとも言えるし、しなかったとも言えます。

科学的には説明がつきません


  新約聖書のなかの福音書には、イエス・キリストが復活したことが書かれています。しかし、これを文字通りに受け止めるには、現代人には医学的な知識がじゃまします。医学的には、いったん死んだ個体が再び生き返るということはまずありえません。
  もちろん、世の中には科学では説明のつかないことはまだまだたくさんあり、科学で説明できることは実はこの世のほんの一部なのだ、ということも事実です。ですから、「絶対にありえない」ということは言えません。しかし、可能性としてはかなり低いのではないでしょうか。
  ですから、イエスが本当に肉体ごと復活したのだということは、非常に考えにくいことなのですが、あとは信じるか信じないかの問題になってくるわけです。
……と言ってしまっては、元も子もないわけですが、イエスの復活をどう理解するかについては、キリスト教の内部でも、
  「文字通り体ごと復活したのだ、そしてわれわれ信仰者もこの世の終わりには、キリストと同じく『からだのよみがえり』を体験するのだ」と信じる立場から、
  「イエスの復活というのは、弟子たちの心の中で起こった体験である」あるいは、
  「イエスの復活というのは、私たちの中にイエスの精神が生きているという心のありようのことである。信者がいま生きている人生においてイエスがそばにいると感じることがなければ、復活など意味がない」という信じ方をしている立場もあり、イエスの復活をどう理解するかについては、実はかなりさまざまな幅があり、一言でキリスト教とは言っても、実は一枚岩ではないのです。
  このQ&Aでは、とりあえず、もっとも「冷めた」立場を基本にお話してみましょう。


最初の復活物語

  最古の福音書であるマルコによる福音書には、イエスがよみがえった場面が非常に不完全なかたちで記されているように見えます。
  マルコによる福音書の元来の結末は16章8節であったと言われています。それ以降の記事は、後から付け加えられた部分だというわけです。新共同訳聖書では、それがわかるように、16章8節でいったん福音書を終わり、結末については2種類あることを明示しています。
  マルコが16章8節で終わるとすると、マルコのエンディングはこういう記事になります。

  
「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くための香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を動かしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(マルコによる福音書16章1〜8節:新共同訳。以下同じ)

  このあとに、マグダラのマリアにイエスが現れたり、二人の弟子に現れたり、ユダをのぞく11人が集まっているところに現れたり、ということが書かれているのは、すべて後からの付加であるというわけです。
  特に目を引くのは、
8節「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」という結末部分ですね。「だれにも何も言わなかった」のなら、どうしてこの物語が記録されることになったのだろうか、ということになります。この結末の言葉があるので、この物語全体がフィクションなのではないかという疑いが逆に濃くなります。


マルコ版とマタイ版を比較すると……

  続いて、マタイによる福音書における復活物語を見てみましょう。マタイはマルコより30年近くあとになって書かれたとされていますが、マルコ版の復活物語に大幅に改変を加えています。

  
「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイによる福音書28章1〜10節)

  まず、マルコ版とマタイ版では、イエスの墓を見に行く女性がマグダラのマリアという点だけが同じで、あとは一致していません。これはルカ版、ヨハネ版を入れて比べても同じです。共通しているのはマグダラのマリアの名前だけで、あとはすべて食い違うのです。
  それからマルコ版では、墓の中にいた人は、単に
「白い長い衣を着た若者」(マルコ16章5節)という人物にすぎません。別に天使だとは書かれていないわけです。しかしこれが、マルコより後代に書かれたマタイ版になると、地震とともに天から降ってきて、墓の前の石を動かしてその上に座る、実にパワフルな天使に変えられてしまうのです。
  また、マルコ版では女性たちは恐ろしくてだれにも何も言わなかったことになっているのに、マタイ版では、
「恐れながらも大いに喜び……弟子たちに知らせるために走って行った」(マタイ28章8節)ことになっています。
  さらには、マタイ版には「番兵」が登場します。これはマタイ版にのみ記されていることなのですが、復活物語の前に、祭司長たちが
「弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらす」(マタイ27章64節)ことにないように、番兵を置いたこと。復活物語の後には、番兵たちがおそるべき天使のわざを見たにもかかわらず、祭司長たちが番兵たちに口封じのために多額の金を与え、「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい」(マタイ28章13節)と指示したことが書かれています。
  これはかなり間抜けな話で、番兵たちが本当に眠っていたのであれば、じっさいに何が起こったのか知らないはずなのです。つまり「弟子たちがイエスの遺体を運び出した」というのは完全なデマだ、とマタイは言いたいのです。ということは、逆につまりそれほどまでに、「どうせイエスの遺体は弟子たちが運び出したんだろう」という噂が、マタイが福音書を書いた当時には広く出回っていたために、マタイはこれを強く否定する物語を挿入せざるをえなかった、ということが推測できるわけです。
  そういうことも含めて、マタイはおそらくマルコの福音書の受難物語には大いに不満だったのでしょう、このように大幅に改訂が加えられています。

 
ルカ版とヨハネ版も見てみると……

  マルコとマタイの違いが顕著なので、まずこの2つを並べて比較してみましたが、ほかにも、ちなみにルカによる福音書の復活物語を見ると、天使が2人になっていたり、ペトロが女性たちの話を聞いて、空っぽの墓を確かめに行くエピソードが加わっています。
  また、マルコとマタイに共通しているのに、ルカで異なっているのは、ルカ版では「ガリラヤに行けばイエスに会える」という要素が完全にカットされている点です。むしろ、ルカ版ではエルサレムで11人の弟子たちとその仲間たちに現れる場面がしっかりと描かれています。
  これは、よく言われていることですが、ルカに見られる「エルサレム中心主義」で、ルカはエルサレムから福音が全世界に宣べ伝えられるという彼独特の神学を強調したかったんだろう、と考えられているわけです。やはりルカも、最初のマルコ版には不満だったようで、改変を加えているわけです。
  ヨハネによる福音書の復活物語では、ルカ版でさらりと触れられていた、ペトロが空っぽの墓を確認しに行く場面をより詳しく描いており、ペトロともう一人の弟子が墓の中に入ったように書かれています。また、マグダラのマリア、トマス、ペトロなど、一人一人の弟子たちとの深い出会いなおしの記事が書かれているのも、ヨハネ版の特徴です。

  このように、一口に復活物語といっても、どんどん伝承は変化しているのであり、何が本当に事実であったのかということは言えなくなります。
  一番古いマルコによる福音書が一番事実に近いということも確証を持っては言えません。マルコが福音書を書いたのは、すでにイエスが死んでから30年たっている頃であるということが定説になっていますので、マルコの段階でも、かなり物語は神話的な脚色がなされている可能性が高いですし、後になってから書かれた福音書に実は古い伝承がまぎれこんでいたという可能性もあるので、古いから史実に近いということも言い切ることはできません。
  そういうわけで、イエスの復活については、確かなことは本当は何も言えないのです。


事実は「空っぽの墓」だけか?

  マルコ版では「空っぽの墓」だけが端的に描かれ、復活したイエスも登場せず、「空っぽの墓」の目撃者である女性たちも、だれにも何も言わなかったとされています。また、マタイ版では、「空っぽの墓」の事実性を守るために、わざわざ番兵たちの物語まで付加されていました。ということは、初期の教会では、「私はイエスと出会った」という体験談よりは、むしろ「墓は空っぽだった」ということが宣べ伝えられていたのではないかと推測することもできます。
  このマルコ版・マタイ版の特徴は、ルカ版やヨハネ版でイエスの弟子たちとの出会い(イエスの顕現)のほうが強調されているのとは対照的です。ルカ・ヨハネでも、「空っぽの墓」をペトロが確かめに来る場面が描かれているのですが、これはマタイの番兵の話同様、「空っぽの墓」の伝承を守るためではなかろうかとも思えます。
  伝承の新しい・古いについては、さまざまな可能性がありますが、最終的に編集された結果として福音書を比較してみると、古い福音書から新しい福音書になるにつれて、物語の強調点が「空っぽの墓」から「イエスの顕現」に移ってきているように感じられます。
  ですから、もともとは「空っぽの墓」という事実があって、それがすべての出発点であり、それから次第に「イエスと私は出会ったのだ」という話が作られていったのではないかと考えることができます。

ペトロが見たもの

  日本で出版されたなかでは、おそらくもっとも過激な立場だと思われる、
G.リューデマン著、橋本滋男訳『イエスの復活 実際に何が起こったのか』(日本基督教団出版局、2001.(現在すでに版元では絶版、書店の在庫のみがわずかにある状態です)を参考にしますと、「空っぽの墓」の伝承も、「イエスが死んだ3日後に復活した」という伝承も、すべて「イエスが復活した」ということへの異教徒たちの疑いに対する弁明だということです。つまりフィクションです。そしてこの本は、「おそらく確かなことは、マグダラのマリアやペトロがイエスを見たこと、そしてパウロがイエスが話しかけるのを聞いたことだけであろう」という立場をとっています。
  つまり、宗教体験あるいは神秘体験といったものを、彼らはしたのだろう、ということです(この本では、はっきり「幻覚」と記されています)。

  この本では、ペトロの体験は、身近な人が命を突然に奪われたときの、「悲嘆のプロセス」(おそらくターミナル・ケアの分野では「グリーフ・ワーク」という)がうまくいかなった場合に体験される、死者の実在の感覚であろうとされています。
  ハーバード大学における研究によれば、身近な人の死を経験した遺族の悲嘆のプロセスを妨げる3つの要因というものがあるそうです。それは……
  (1)突然の死、
  (2)死者への罪責感情と結びついたアンビヴァレントな感情、
  (3)依存感情、なのだそうです。
  そして、これはペトロと弟子たちの状況にぴたりと当てはまります。
  (1)イエスの十字架刑は予想外のことであり、突然に起こった。
  (2)弟子たちはイエスに対して罪責感情を持っていた。ユダはイエスを裏切り、ペトロはイエスを否認し、激しく泣いた。
  (3)弟子たちの多くが仕事と家を離れてイエスに従った上に、イエスのグループはもとの社会構造から分離した小さな宗教グループを作ったので、弟子たちは強くイエスに依存する関係にあった。彼らにとってイエスはすべてであった。
  悲嘆のプロセスがうまくいっている場合は、死者の記憶や実在感は次第に薄れてゆくのですが、ペトロのイエスに対する悲嘆のプロセスはうまくいかず、徐々にイエスの印象が薄れるのではなく、生きたイエスの姿を幻覚・幻聴として見てしまった、というわけです。
  深く依存しており、愛していたイエスを、自分の命と引き換えに見捨ててしまったというペトロらの深い罪悪感は、イエスによる赦しの宣告という幻を見ることで、この罪悪感を克服していったと考えられるのです。
(『イエスの復活』p.140-142およびp.192参照)


パウロが見たもの

  また、クリスチャンを迫害するためにダマスコに行く途中でイエスに出会った使徒パウロについても、やはり、神秘体験または幻覚であった可能性が高いとされています。
  このような聖書の箇所です。パウロはもとはサウロという名でした。

  
「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは。声は聞こえても、だれも姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」(使徒言行録9章1〜9節)

  ここでは、
「同行していた人たちは。声は聞こえても、だれも姿も見えないので」(7節)と書いてありますが、同じエピソードをくり返している使徒言行録の22章4〜11節では、「一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞こえませんでした」(9節)とありますので、証言が一致しません。なぜこんな矛盾を著者のルカが放置していたかは疑問ですが、とにかくパウロの体験を周囲の人びとが共有していたかどうかは非常に疑わしいのです。これはパウロの個人的な体験がベースになった話であると受け取るほうが妥当でしょう。
  このパウロの体験の背後にあるものは、彼の「キリスト・コンプレックス」である、と先ほどから引用しているリューデマンの著作は述べています。
  彼はもともと熱狂主義的な傾向があり、血の気の多い、怒りっぽい気質を持ち、性格的にもきわめて興奮しやすく落ちつきのない人物であったといわれます。
  それは、例えば、ユダヤ教徒のなかにもパウロのように過激な迫害をするグループばかりではなく、たとえばガマリエルという高名な律法学者は
「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかも知れないのだ」(使徒言行録5章38〜39節)と言ったといいます。つまりパウロは、イエスの教えを奉じる者に対して激しい危害を加えようとする、ある特定のグループに属していたわけで、そこにも、パウロの性質・気質が表れているのではないかと思われるのです。
  リューデマンはこのような熱狂的な迫害者であること自体が、
「キリスト教の宣教の根本部分が彼に対して著しく強い影響を与えていたことを物語っている」(p.189)と指摘しています。以下、少し長くなりますが、この見解の中心部分を引用してみましょう。

  
「彼がキリスト教徒と出会い、その宣教活動と信仰生活に接したという事態は、単に理性的な次元で起こっただけではなく、それと同時に意識的及び無意識的な感情の次元で起こったのである。これは、すべての経験について言える現象である。キリスト教徒に対するパウロの猛烈に攻撃的な態度の根底には、ある内面的個人的な無力感がひそんでいたと考えられる。深層心理学の世界では、こういう無力さは攻撃的行動の原因になることが多いとされている。一般的に言えば、この無力さが表れるのは、ある人が何かによって非常な感動を受けたと感じ、しかもそれが当人の主義主張に逆らうという場合である。当然、その人はそれに屈服することができないし、しようとも思わない。そこでこの人は、自分が圧倒されてしまわないように、また自分の主義主張を崩壊させないためにも、このような感情を力づくで抑えつけようとする。ところが、抑えつけようとすればするほど、彼は、自分が持ったのと同じ感情(無力感)をはっきり出せるような他の人々を、今度は憎むようになる。というのは、そういう人たちは、彼が苦労して抗っているまさにそのことを、平気でやれるからである。そこで、彼自身の置かれている環境に対して憎悪を向け、これはさらには他人への憎しみという形で、自分自身への憎悪となる。この人は――心理学の専門用語で言えば――自分への憎悪を他人に投影するのである。
  熱狂主義者は、自分を滅ぼしたくないと思えば、しばしば自分の人生観や生活行動に対する疑いを何が何でも抑圧しようとする。これがパウロにも当てはまるとすれば、彼の宗教的熱狂は、彼の心の中にある無力さを測るための一種の尺度であり、この無力さは、ついにはキリストの幻において一気にほとばしり出たのであった。」(『イエスの復活』p.189-190)


  パウロが迫害しようとした初期キリスト教の教説の内容に、彼が信じてきたユダヤ教をのりこえる普遍的な傾向があり、これが彼の心に大きな葛藤を生んでいたわけです。彼が無意識のうちに待ち望んでいたものが、イエスにおいて現実のものになっていました。パウロにとっての救い主の理想像というものは、彼が迫害していた人びとの教えによって具体的に表現されていましたが、そのことをパウロはずっと抑圧しながら迫害を続けていたのでしょう。
(同書p.190参照)
  そして彼は、その葛藤が限界にきたときに、キリストを見ることによって、自分のなかの「キリスト・コンプレックス」を克服したというわけです。この幻視・幻聴は彼のコンプレックスの爆発であったということです。


それでもクリスチャン

  この本は、その結論部分で、
「イエスの墓は空っぽではなく、そこには遺体があったのである。それは消えたのではない。朽ち果てたのである」(同書p.200)と言い切っています。
  これは、キリスト教の伝統的な立場からすれば、重大な問題です。そもそもキリスト教が日曜日に礼拝を守っているのも、イエスは十字架で処刑された日から3日目に復活し、それは安息日(土曜日)の翌日であったからだ、という伝承にのっとっているからです。復活がないとすれば、キリスト教の根底が崩れる、といって怯え、警戒する人もクリスチャンの中にはいます。
  しかし、この著作は、
「しかし、それは直ちにキリスト教の終わりを意味するのではない」(p.199)と述べています。初期のキリスト教信仰は、その当時の世界観を背景にした、当時なりの物事の解釈から生まれたものであり、今日の我々は同じ出来事を今日なりに別の形で解釈して当然なのだ、というのです。信仰の形式というものは、解釈の変化とともに必然的に変化するのです(p.199参照)
「『われわれはなおキリスト教徒であり得るか』という問いに対して、答えは確信をもって『然り(ヤー)』である」(p.202)


  長い引用になりましたが、このように、イエスの肉体の復活は否定するけれども、ペトロやパウロが「見た」そして「聞いた」という体験自体は否定しない、という立場もありえます。それもまた「復活」という出来事のひとつの解釈なのです。
  ペトロやパウロにとって、それは真実の体験でした。夢や幻が聖書の世界のなかで大きな意味を持つことは知られていますし、現代でもユング心理学などは、夢や幻にあらわれる真実なるものを研究し続けています。ペトロやパウロが体験したものが、夢や幻であったからといって、それが意義を失うということはないのではないでしょうか。
  その夢や幻が、見た当人たちにとってどれだけ大きな意義を持っていたからを探ることで、彼ら以外の人間にも普遍的な真実を探求することにもつながります。私たちは自分にとって本当に大切な人が亡くなったとき、イエスと残された弟子たちのことを思い浮かべ、考えることができます。そして、亡くなった愛すべき人のことを思うのと同じように、イエスのことを思うことができます。そのようにして、私たちは「復活したイエスは私たちのそばにいる」と思うことができるのです。そうして人は癒されることが可能となります。
  むしろ、「復活は医学的に可能だ」と言うことのほうが、よほど異常なのではないでしょうか。そして、いったいイエスが肉体的に蘇生したからといって、今の私たちになんの意味があるというのでしょうか。「だからイエス様はすごい」、「だからイエス様は神さまだ」、そんなことを連呼したところで、私たちの生活の実感が深まるわけでもないし、だいいち、すごいのはイエス様だけであって、私自身も、私が大切にしている人たちも、だれもまず間違いなく死んだら蘇生などしないでしょう。そんな超自然的なオカルト的な教説が、いったい私たちの何の現実的な問題の解決になっているでしょうか。そんなことをイエスが望んだでしょうか。

  ですから、私たちは、健全な科学的懐疑心でもって、物事を考えてゆけばよいのであり、イエスの復活に関しても、現代的今日的な世界観で解釈していけばよいのです。それが「あくまでひとつの解釈に過ぎないが」という限定を加えながらですが。
(2007年5月24日記)

〔最終更新日:2007年5月24日〕

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