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 Q. イエスが処女から生まれたって本当ですか?
 「キリストが処女マリアから生まれた奇跡はともかく、生物学的に普通の人間として生まれるには、女性側だけでなく男性側のDNAが必要です。
 イエス様は単性生殖で生まれたのですか?
 それとも父親側のDNAは誰かが提供したのですか?
 婚約者のヨセフが普通なら妥当だけど、どうやって?」
(2012年6月にTwitterを通じていただいた質問より)
 A. そんなことがあるわけないじゃないですか。
ギリシア語に訳されたヘブライ語聖書の問題

 処女降誕はフィクションです。
 まず、元々ヘブライ語聖書(後のキリスト教の旧約聖書の元になる文書)のイザヤ書にあった「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ書7:14)。
 この乙女が幼子を産むというメシア(救世主)誕生予言(「インマヌエル預言」とも呼ばれる。「インマヌエル」とはヘブライ語で「神は我々と共におられる」という意味〔マタイ福音書1:23〕)が、1世紀までに地中海を取り囲む世界のユダヤ人社会に広がっていたギリシア語訳の聖書(「七十人訳聖書」あるいは「セプテュアギンタ」とも呼ばれる。「70」をローマ数字にして「LXX」と表記されることがある)の中のイザヤ書では「見よ、処女が…」と訳されていた事の影響が大きいでしょう。

 1世紀の地中海周辺は、帝政ローマが治めており、ユダヤ人にとっての都であり、聖地であるエルサレムは、ローマの属州のひとつであるユダヤ州にありました。そこではユダヤ人はヘブライ語を話していましたが、それ以外のローマ帝国の各地にもユダヤ人は拡散して住んでおり(そのようにユダヤから離れて暮らしている各地のユダヤ人のことを「ディアスポラ」と呼びます)、そういうユダヤから離れたユダヤ人たちはヘブライ語ではなく、公用語のギリシア語を使っていました。ですから、ユダヤの聖書もヘブライ語ではなく、ギリシア語に翻訳されることが求められ、「七十人訳聖書」が紀元前3世紀から2世紀にかけて作られて、各地のユダヤ人たちはそれを読み、それを使って礼拝していたのです。

 福音書の記者たちも、自分たちがギリシア語で福音書を書く際に、このギリシア語の「七十人訳聖書」を使ってユダヤの聖書を引用していた場合が多いので、マタイの福音書でのイエス誕生物語では、イザヤ書を引用する時に、「見よ、処女が……」ということになったのです。
 なぜヘブライ語原典では単なる少女のことを指す言葉が、「七十人訳」では処女になってしまったのかは、私にはわかりません。
 また、マタイがなぜイエスの誕生物語を書くに際して、イザヤ書を引用しようと考えたのかについても、ここでは話が長くなりすぎるので、詳細は省略しておきますね。とにかくマタイは、イエスが誕生したのはイザヤ書に書かれている「インマヌエル預言」の成就だったのだ、と考えたのです。そこでイザヤ書7章14節を引用したのですが、それが「七十人訳」の聖書からの引用だったので、処女ということになり、マタイは処女から赤ん坊が生まれるお話を作ったのだろうということです。

ギリシア・ローマ世界の信仰の影響

 それから、このような福音書が属州ユダヤに住んでいる生粋のユダヤ人に対してというよりは、ユダヤ州以外の帝国の各地に住んでいる読者を想定して書かれていることも原因の一つにあるでしょう。
 なにせ、紀元70年にはローマに反乱を起こしたユダヤ軍は鎮圧され、エルサレムが陥落していましたから、エルサレムにあったイエスの直弟子たちの教会も崩壊しており、マタイやルカの福音書が書かれたのはそれより10年以上後の、紀元80年代です。その頃には、キリスト教会の中心は既にエルサレムではなく帝国のギリシア語世界、特にシリアのアンティオキア(パウロらが拠点とした教会)に移っていました。だからこそ新約聖書はギリシア語で書かれているわけです。

 福音書はユダヤ人だけを対象に想定して書かれたものではありません。異邦人(つまりユダヤ人にとっての異民族)の改宗者たちも想定していました。ディアスポラのユダヤ人も、異邦人も周囲にはギリシアやローマの神々の神殿や神話があふれており、それらに影響を受けています。そして、イエスに関する言い伝えも、帝国の各地ではそのようなギリシア・ローマの神話の影響を受けて語り伝えられたようです。
 1世紀ごろの地中海周辺の世界では、処女からの貴人や神の誕生というのは、よく語られた神話のパターンでした。偉人が特別な誕生の仕方をするという伝説は、現代でも至る所に見つけることができますが、この時代、イエスも神格化される中で、特殊な生まれ方をした者として語り伝えられるようになったのでしょう。それが物語化されて福音書に記録されたのであろうと考えられます。
 また、そのような神話のパターンに沿った物語を読ませることが、異邦人社会に対してイエスの神性をアピールし、イエスも神がかった人なのだとして浸透させるには好都合だったのでしょう。

福音書の誕生物語に見られる意図

 ちなみに、最初の福音書である(紀元70年のエルサレム陥落直後に書かれたとされている)マルコ福音書は、イエスの誕生物語そのものを収録していません。おそらくイエスの誕生には関心が無かったのでしょう。マルコはイエスの公生涯にしか価値を見出さなかったようです。パウロが、生前のイエスに関心が無いように思われるのと似ていますが、マルコはイエスの誕生や幼年時代などには関心が無いのです。
 また、イエスの誕生を物語を収めているマタイとルカも、80年代には書かれていますが、それぞれの誕生物語に接点はありません。どちらも全く重複のない別個の物語を書いています。2つの福音書に共通なのは、母の名前がマリアで、彼女が処女のままで妊娠したらしいこと、そして父親の名はヨセフであったということだけで、それ以外に共通点はありません。
 ということは、イエスの誕生については、80年代の時点ではまだキリスト教会での統一見解は無かったということになります。とりあえずイエスは処女降誕で生まれ、母の名はマリア、父の名はヨセフであるという事だけが伝えられており、それ以外の詳細を知る人はいなかったわけです。
フラ・アンジェリコ『受胎告知』(1430年ごろ、フィレンツェ、聖マルコ寺院)

 もちろんマタイとルカがそれぞれ別の事実を記録しているという考え方もできないではありませんが、その可能性は薄いようです。
 というのも、例えばマタイでは、ユダヤ人の新しい解放者としてのイエス像を描くために、新しいモーセのように描かれています。イエスの誕生に当たってはヘロデによる幼児の大虐殺が行われたことになっていますが、それは出エジプト記のモーセもエジプトのファラオの幼児大虐殺を逃れた人物ですから、同じ運命をたどっているのだと述べているわけです。そして、赤ん坊のイエスを連れた家族はエジプトに逃れますが、これもモーセがエジプトからユダヤの地(モーセ当時はカナンの地)に入ってきた事をなぞっているからです。
 一方ルカでは、救い主がベツレヘムで生まれたことになっていますが、これはルカがイエスを、かつてのユダヤ人の祖先であるイスラエル民族の黄金時代を築いたダビデ王の再来として描こうとしているからで、ベツレヘムはダビデ王の故郷なのです。そして、幼子イエスの誕生を最初に告げ知らされるのは羊飼いたちですが、これもダビデが元々羊飼いであり、羊飼いの時にサムエルに見出されて王になったからです。
 それを踏まえると、マタイもルカも、事実を正確に記録しようという意図ではなく、イエスの誕生がユダヤの聖書の預言の成就であることを主張しようとして、それを物語というスタイルで表現したのだと考えた方が妥当に思えます。
 そして、マタイとルカの伝える物語に一致点が無いことは、この物語がまだ十分に当時の教会の間ではそれぞれ浸透しきっていなかったことを示すと思われます。マルコはそのような物語は残していないのですから、このような誕生物語は、マルコ以後、マタイ・ルカまでの比較的後期にできてきた伝承である可能性があると思われます。
 というわけで、イエスが処女から生まれた云々というのは、史実であるとは非常に考えにくいわけです。

イエスの母はシングルマザーだった?

 しかし、いくら2000年前の古代とはいえ、同じ時代の日本などとは違い、紀元前からメソポタミア文明とエジプト文明の通商ルートとして栄え、その後ローマ帝国の属州としてギリシア・ローマ文明に支配されるようになった場所でのことです。同じ時代にフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代史』などの書物もあり、事実をできるだけ正確に伝えようとする姿勢の人間もいた時代です。
 そのような時代に、実在の人物で、しかもつい数十年ほど前に死んだばかりなの、その誕生は処女降誕によるものであった、と言う事が可能でしょうか?
 イエスはユダヤ人です。ユダヤ人は家族に絆を非常に重んじ、父親を中心とする家父長制的な家制度を固く守っていました。人の名前も当時はファミリー・ネームを名乗る代わりに、「イェシュア・ベン・ヨセフ」(ヨセフの子イェシュア)というように、父親の名を付けて呼ばれるのが普通でした。父親の名前がファミリー・ネームだったわけです。
 そのような時代に、「この人物は実は処女から生まれたのだ」というエピソードを当てはめることは可能でしょうか? つまり本当の父親はヨセフではない、というような事を、死後間もない時代に書く事ができるでしょうか?
 マルコの福音書によれば、イエスは家族から頭がおかしくなったと思われ、取り押さえられそうになったというエピソードがあります。それによれば、イエスには4人の兄弟たち(もしイエスが長男なら弟たち)と妹もいたことになっています。そのような親族やその子孫も実在している中で、長男が本当は父ヨセフの子ではないというのは、親族にとって非常に不名誉なことではないでしょうか? また、もしイエスの父親自身が「あの子は聖霊の子だ」とはっきり語っていたなら、もっとイエスの親族の中に教会の信徒がいてもおかしくないはずではないでしょうか?
 そういった事を考察すると、実はイエスの父親は不明であり、母親はシングルマザーであり、ナザレの生まれではあっても、それ以外に彼の家族的なつながりを証明するものはなく、だからこそ、福音書記者たちは容易に「不思議な誕生」の物語をイエスに結びつけることができたのではないでしょうか。私にはそう考えるほうが自然ではないかと思えます。

 父親がはっきりしない子どもというのは、ユダヤ人社会、特に古代のユダヤ人社会では非常に不名誉なことです。おそらくイエスは幼少期から激しいイジメや差別を受けてきたでしょう。そして人生に疑問を覚え、家を飛び出してしまったのかも知れません。そういうイエスをナザレの人びとは「頭がおかしくなった」と言い、家族が彼を取り押さえにきたということも実際あったのかもしれません。
 ルカの福音書には、12歳のイエスの物語が収められています。伝統的にはイエスの父はこれ以降、早世したと言われてきました。しかし、当時の貧しい人の寿命はせいぜい30年前後です。12歳から15歳までの間には結婚し、子どもが結婚できるくらいの年齢にまで育て上げたら、両親は間もなく世を去ります。そうすると、12歳以降に父親を失うということは、そう珍しい事ではないということになります。
 そのような、ちょっと人より早いくらいの時期に父が世を去ったというような人間が、自分の父を差し置いて、神に対して「アッバ(父さん)」と親しげに呼びかけるということがあるでしょうか?
 そして、イエスの幼年時代、少年時代がいかに偉大で神秘的であったかと語る物語は、正典となった4つの福音書以外の外典・偽典の中にごまんと見つかります。4つの福音書の中ではルカだけが収めているこのような物語が、イエスの「不思議な幼年時代」を語る創作された偉人伝である可能性は高いのです。
 そういうわけで、これについても、イエスは父無し子として虐待を受け、差別された結果、自分には頼るべき父親は神しかいないと思い、父なる神に対して「父さん」と呼びかけるようになったのではないかと推測することができます。
 また、イエスは差別されたり、困窮にあえいでいたり、虐待された人に対しては愛情深く接しますが、権力者や金持ちなど、貧しい者や弱い立場の者を虐待し、病気や障がいのある者を排除する人びとに対しては、容赦なく口汚い侮辱の言葉を浴びせ、その戦い方は決して上品で礼儀正しいものとは言えず、むしろほとばしる憤りをぶつけるといった有様です。こういう姿の中にも、イエスが長い間、怒りや憤りを心の中にため込んできたことを想像させるものがあります。

事実ではないが、伝えたいことがある

 ということで、後半は推測の話が多くなりましたが、イエスの性格分析の推測は置いたとしても、イエスが処女から生まれたという物語は、聖書学的には以下の理由から、史実ではないと考えられます。
  1. 生物学的に父親無しに人間の子どもが生まれることはない。
  2. 当時の地中海世界には、処女降誕を初めとする特別な生まれ方をした人の伝説や神話がたくさんあり、その世界の人びとにイエスの神性を認めさせる上で、そのような神話のパターンを偉人伝に取り込む方法は有効であった。
  3. マタイは明らかにイエスをモーセの再来と位置づけて、その観点から誕生物語を書いている。
  4. ルカは明らかにイエスをダビデの再来と位置づけて、その観点から誕生物語を書いている。
  5. 最初の福音書であるマルコには誕生物語はない。ヨハネにも無い。したがって、(3)(4)(5)を総合すると、誰もイエスの誕生の事情の全容を知る者はいない。
 しかし、イエスの誕生物語が事実ではないとしても、宗教としてのキリスト教にとっては、あまりダメージではありません。史実性というものはそんなに重要な事ではないのです。言い伝え、物語、神話、伝説からも、私たちは人間の心の深い所に訴えかけてくる大切なメッセージを受け取る事ができるからです。
 そのメッセージとは何かというお話は、ここでは語らないことにしましょう。みなさんがそれぞれ、クリスマスに教会でそのメッセージを確かめ、味わってみられてはいかがかと思います。
(2012年10月8日記)
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〔最終更新日:2012年10月8日〕

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