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 Q. あんな人でも牧師さんになれるんですか?

  「すぐ怒る、ひとの事をゆるせない、しつこい、すぐキレる、スネる。あの人、よくあれで牧師なんかやってられるなぁ。牧師って、みんなあんな感じか?」

(2000年9月に受けた質問より)

 A. なれるんです。あなたにだってなれます。

 私は、むかし牧師になる前、「おまえのような人間は牧師になるのはやめたほうがいい」と、ある牧師に言われたことがあります。
 しかし、牧師に言われるのと、牧師以外の人に言われるのとでは、意味が違いますし、牧師以外の人でも信者さんと信者でない人とでは、やはり意味が違うと思います。
 ここでは、信者でない人に言われる場合の話をしましょうね。

 私は、信者でない人に、直接面と向かって「あなたのような人が牧師をやるのはよくない」と言われた事はありません。しかし、「牧師のくせになんでおまえはそうなんだ」というような意味のことを、間接的に指摘されることはあります。でも、指摘されて納得がいく時と、納得できない時があります。
 たとえば、「牧師のくせに怒った」とか、「牧師のくせに自分を無条件に(話を聞く前に最初から信じて)かばってくれなかった」とか、そういう事を言われると、「なに甘ったれてんねん」と言い返したくなりますね。
 また、「牧師のくせに、(キリスト教や聖書の知識について)こんなことも知らない」とか、「牧師のくせに酒を飲んだり、タバコを吸ったりしている」とか言う人もいます。
 ひどいのになると、私の友達で、被差別部落の出身者だからといって「あなたのようなケガレた血の人は聖職者にはなれないのよ」と言われた牧師もいます。これははっきり言って差別ですよね。

 世の中の多くの人は、キリスト教の事を自分でよく調べもしないで、勝手な思い込みを牧師や神父という職業の人に投影しがちです。そして、自分の思い込みと合わない人を、「牧師にふさわしくない」と決めつけてしまうのです。そして、こういった態度は、実はクリスチャンの間でさえもよく見られ、あるいは強化されている場合もあります。
 しかも、相手が牧師だと、普通の人以上に立派な人でないといけないかのように言われることが多い。温和で柔和で、いつもニコニコしていて、決して怒らず、何でも赦してくれて、いつも気を遣ってくれて、自己犠牲的で、酒もバクチもやらず、家族は円満で、学識豊かで、しかも貧しくないといけない。程度の差はありますが、こういう矛盾した要求を多くの牧師はつきつけられています。
 でも、だいたい金とヒマがないと、学識というものは育ちません。それに、こんなにストレスを強いられて、牧師も牧師の家族も精神的にボロボロなんてことはザラです。ガマンの限界が来て、外でキレたら「牧師にあるまじき態度だ」と言われ、家族の前でキレたら「牧師の家庭にあるまじき事態だ」と言われ……。
 キレるところまで行かなくても、グチひとつこぼす場所もないのが多くの牧師の現実です。だって考えてみてくださいよ。ちょっとしたグチひとつこぼすのでも、信者あるいは生徒のプライバシーを他人にもらすことになるんですよ?(平気でやってる牧師もいるけど。この場合は「牧師のくせに!」と言わんといかんね)

 牧師とはげに孤独な職業かな。 
 まったく牧師というのは割に合わない職業なのです。

 逆に、「あんな人が……」と言っているあなたも、牧師になれます。牧師を非難するなら、一度あなたも牧師になってみてはいかがでしょうか?
 日本キリスト教団の場合、信者を3年やって、ある程度神学を勉強して、試験にパスしたら、あなたも牧師になれます。試験は2段階あって、1度目の試験にパスしてから2年間、教会や学校や病院などで働いて、2回目の試験を受けたら、どこにいっても「牧師さん」と呼んでくれます。
 さあ、それでね、それからが問題なんですよ……。

 ギリシャ語とかね、酒とかタバコとかね、そういう事よりもっと深いところで、「本当に自分は牧師なんかやっていていいんだろうか……」という疑問を、まじめな牧師だったら誰しも心の片隅に抱いているのではないか、と思うのです。
 「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることはないようにするためです」(コリントの信徒への手紙T1章26−29節)
 ……という聖書の言葉に慰められ、励まされて、何とかこの仕事を続けている仲間はたくさんいるのです。

 そうですねー。さっきの聖書の言葉にしたがえば、自分が牧師であることに何らかの誇りを持っているかのような態度の牧師を見たときは、そういう牧師は笑ってやってもいいかも知れませんね。

〔最終更新日:2001年4月16日〕

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