「下世話なQ&A」の入口に戻る

 Q. 教会でせんべいみたいなもの食べたら怒られちゃった! どうして?

 「教会の前のほうで、薄焼きの白いせんべいみたいなのを順番に並んで口に入れてもらってたんですよ。最初、ぼくらには関係ないと思ってじっと座ってたら、他の信者さんが『あんたたちも前に行ってみたら?』って言うんで、ぼくらも真似して並んでいって、一番前のところで神父さんからせんべいを口に入れてもらったんです。そしたら、横のほうからずずずーっとおばあさんのシスターがやってきて、『あなたがたは、ケガレた体のままで主の体を受けましたねーっ!!』と叫んだんです。それで、ぼくら顔を見合わせて『ヤバイ! 逃げよう!』って、それで思いっきり走って、礼拝堂から逃げてきたんです」
 

(毎年、毎学期のように、牧師の職場での学校の生徒を教会に送ると起こる事件)

 A. ホスティアですね、それは。

聖餐式とは


  キリスト教の教会では、「聖餐式(せいさんしき)」という儀式を行います。
  プロテスタントの場合は毎月第一日曜日に決めて、毎月やっているところが多いようです。イースター・ペンテコステ・クリスマスの3大祭のときに行う、という教会もあります。カトリックや聖公会では、毎週の礼拝ごとに行われます。
  この「聖餐式」という儀式は、パンとブドウ酒の儀式とも言われます。儀式のなかでクリスチャンがいっしょにパンを食べ、いっしょにブドウ酒を飲むという儀式だからです。パンはイエス・キリストの体をあらわし、ブドウ酒はイエス・キリストの血をあらわします(だから赤ワインなのですね)。
  イエス・キリストが十字架にかけられて死ぬ、という血生臭い最後を、弟子たちと共に食べた「最後の晩餐」のときに彼自身が予告し、そのとおり死んでいったことを思い起こすための儀式です。

  プロテスタントの教会では、食パンを一口サイズにカットしてお盆に載せたものを、教会役員がみんなの座っている席の間をまわって配ってゆきます。ブドウ酒も同じように小さな器に入れたものを礼拝参加者の間を回りながら配ってゆきます。そして、牧師の式文の朗読に合わせて、みんなで食べ、飲みます。

  カトリックの教会では、聖餐式で使うキリストの体は、ウェハースのようなうすいせんべいなんですよね。これを「ホスティア」といいます。ラテン語で「犠牲」という意味があります。イエス・キリストが、人間の罪を一身に担って十字架にかかって犠牲となった、という意味を毎回思い起こすために、この犠牲(ホスティア)を口に入れます。
  礼拝のなかで聖餐式を行う段になると、信徒席からみんなが立って、前方の講壇に向かって並びます。そして一人ずつホスティアを受け取って、口に入れます。時折、開けた口のなかに直接舌にのせてもらう形式をとっている人もいます。けがれた手でホスティアを受け取ってはならないという理由からで、以前はそういう形式で行っていた教会が多いようですが、最近では手で受け取る形式が多くなっているそうです。
  また、かつてカトリックではブドウ酒は一般信徒には分けてもらえず、そこにいる人間の代表として、司祭が一人で飲むという形式だったそうですが、これも時代の変化とともに変わり、現在では、いただいたホスティアを杯(カリス)のブドウ酒につけて食べるというスタイルが広まりつつあるようです。
  聖公会では、ホスティアもブドウ酒も両方とも並んで受けます。私が参加したことのある教会では、ワインは一口ずつカリスから直接いただいて、司祭が一口ごとに布で拭きながら、少しずつ回転させて並ぶ信徒に飲ませていました。私も自分がクリスチャンであることを述べて、いただきました。


事件の発端

  さて、ここで「Q」の部分に書いてあるような「事件」が起こったのは、彼ら生徒たちが洗礼をうけてない身でホスティアを食べちゃったというところに問題があるのですね。
  カトリック・プロテスタントの多くの教会では、洗礼を受けて信徒になった人しか、この聖餐の食事に参加してはいけないことになっています。イエスは誰をも招かれた方だから、そういうのはおかしいのではないか、と信者でなくても聖餐の食事をいただいてもよい、という考え方の教会も増えてきていますが、一応、原則として多くの教会では、洗礼を受けた人だけが聖餐の食事に参加します。ただし、他の教会や教派で洗礼を受けた人でも、問題なく参加することができます。

  そして、特にカトリックの場合は、洗礼を受けていない人については、聖餐のホスティアを授ける代わりに、頭に手を置いて祝福をしてもらう(神さまの祝福がありますように、と祈ってもらう)場合が多いのです。
  この「事件」の場合、生徒たちに、「あなたがたも前に行って並んでみたら」と勧めたのは、おそらくこの祝福を受けるという意味でおっしゃったのでしょうね。
  ところが、神父さまは、初めて出会うこの生徒たちが、洗礼を受けたクリスチャンなのか、どうでないのか、とっさに判断をつきかねたのでしょう。そこで、何も知らずに他の人のマネをして、あんぐりと口を開けて待つ生徒君の口に、ホスティアをさずけてしまったのでしょうね。外国人司祭の場合、じゅうぶんありえる事態です。
  ところが、そこに、日本人のベテラン・シスターがつかつかとやってきて、だいたい慣れない場所で挙動不審の若者たちが見よう見まねでせんべいを口に受けるのを見たら、これはおかしいと思いますよね。そこで「あなたがたはケガレた身のままで、清いキリストの体を受けたのですね!」と叫んだわけです。
  「ヤバイ! 逃げろ!」とは笑わせてくれますねぇ。

  聖餐式とは何か、どういう気持ちでどういうスタイルで参加すればよいのか、十分指導が行き届いていない結果と言われればそれまでですが、教会によってさまざまな行い方をしている聖餐式の全てのスタイルを教授しているわけにもいかず、一種の異文化体験として飛び込みで生徒を教会に行かせる課題を毎年実施しているのです。
  諸教会の皆々様、どうぞあたたかい目で、勝手のわからない場所に足を踏み込んだ生徒たちを見守り、受け入れてくだされば幸いです m(_ _)m。

〔最終更新日:2006年3月12日〕

このコーナーへのご意見(ご質問・ご批判・ご忠言・ご提言)など、
発信者名の明記されたメールに限り、大歓迎いたします。
三十番地教会の牧師はまだまだ修行中。
不充分あるいは不適切な答え方もあろうかとは思いますが、
なにとぞよろしくご指導願います。
ただし、匿名メール、および陰口・陰文書については、恥をお知りください。

ご意見メールをくださる方は、ここをクリックしてください……

 「下世話なQ&A」の入口に戻る

 礼拝堂(メッセージのライブラリ)に入ってみる
 ボランティア連絡所“Voluntas”を訪ねる
 解放劇場を訪ねる
 教会の総合案内所に戻る