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 Q. クリスチャンになったら共産党を支持しないといけないんですか?
 
 牧師さんの中には熱心に反戦&反原発運動ならびに共産党や社民党の思想に共鳴して政治活動を行っておられる方もいますが、そういう活動に熱心になるのは良いけど、ある部分では距離を置く、ある部分では一線を引くという事も必要ではないでしょうか?
 教会=共産党、教会=9条の会にしてしまっては、それはそれで弊害もあるのではと。
 私は自民党支持ですが、昔の軍国主義の復活を望んでいるわけではありません。ただ、日本を取り巻く状況を現実的に考えた場合、彼等の考えを支持せざるを得ない。それが私の偽ざる心境です。

 私の教会は、礼拝堂で9条の会のプロバカンダ集会を平気で開催しています。
 ある時、私は意を決して、9条の会や共産党に批判的な自分の考えを述べたところ、後日、聖書勉強会の席上で「正しい歴史を学んでください。国民は皆、右翼の政治家たちに騙されています。真実を学んで平和を愛する人になってください」などと言われ、考え方を共産党寄りに変えるように迫られたのです。
 現実の世界でどの政党、政治家を支持するか、それはキリストの福音を受け入れる事とは別個に考えるべき問題のはず。
聖書にも「皇帝のものは皇帝のものへ、神のものは神のものへ返しなさい」(マタイ22:21)と書いてあります。
 私の教会の牧師が私に対してやった行為は、一人の人間の内面の自由や尊厳を著しく侵害する行為です。
 また、これは使徒パウロがローマ信徒の手紙を初めとする一連の書簡で述べた事に明らかに反する行為です。
 挙句「北方領土はロシア、竹島は韓国に、尖閣は中国に譲渡しても良い。」とか、北朝鮮に拉致された人々についても「たかだか十数人拉致されたからといってガタガタ言うな!」、「日本が朝鮮半島に対して行った事の方がはるかに罪深い」などと言われ、呆れるやら、悲しくなるやらで……。
 結局、私はその教会を離れる事にしました。他教会に移って求道(まだ自分は正式に洗礼を受けていません。)を続けるか、それとも求道自体を止めてしまうか思案中です。
 特定の政治団体の活動に熱心になるのはいいが、ケジメが無く、逆に教会自体を9条の会や共産党にいいように利用させている。これはこれで大問題だと思いますが、先生はどのようにお考えですか?
  
(2012年8月27日、iChurch.meに寄せられたメールより)
 A. どこを支持するかは、もちろん自由ですよ。
 キリスト教には色々な教派や立場や考え方の人がおり、「キリスト教の立場はこうだ」ということは言えないのですが、私自身の信じるところによれば、キリスト教会は「いのち」を守って大切にし、それを損なったり、抑圧したりするものとは戦わなくてはならないという基本的な考えがあります。この観点に立つと、やはり、「反戦」「非戦」「反核」「反原発」「福祉の充実」「憲法9条を守ろう」といった考えのクリスチャンが出て来るのは、そうおかしなことではありません。
 そして、現在、日本の政党の中で、「反戦」「非戦」「反核」「反原発」「福祉の充実」「憲法9章を守ろう」の路線を明確化しているのは、日本共産党くらいのものでしょう。ですからこれらの点においては、多くのクリスチャンと共産党の人たちの主張には似ている部分があるのは確かです。

 しかしその一方で、共産党の人たちには、宗教というものに非常に否定的な物の見方をする人がいます。共産主義の祖:カール・マルクスが「宗教は民衆のアヘンである」という言葉を残したのは有名ですが、これをもって「宗教はアヘン(麻薬)のようなものだから」と言って、キリスト教を非常に嫌う人がいます。
 実際にはマルクスがこのような言葉を発した背景には、もう少し複雑な社会事情があったようですが、時代や社会を超えて聖書の言葉は普遍的に正しいという誤解をしているクリスチャンが多くいるように、共産党の人たちのなかにも、マルクスが言ったことはどこでも普遍的に正しいという思い違いをしている方々がいらっしゃって、機械的に「宗教はダメ」と思い込んでしまっている人がたくさんいます。
 そういう人たちとはキリスト教徒は一緒に活動することができません。ですからクリスチャン=共産党員ということは、案外少ないのです。
 もちろんクリスチャンで共産党を支持している人も一定数いますが、それはその人自身の選択であって、クリスチャンがみんな共産党員になるわけではありません。もし共同で活動することがあっても、それは「反原発」「憲法9条堅持」という一致点で協力し合っている人もいるということです。

 クリスチャンがどの政党の議員に投票するかというのは、おそらく世間の人並みの割合と同じ程度にバラけているのではないかと推測されます。礼拝や集会などの場で政治的なことを話す教会のほうが珍しいので、おそらく信仰と関係なく自分の支持政党を決めているのではないでしょうか。
 例えば著名な自民党の国会議員の方にクリスチャンがいたりもしますし、先ほど列挙した「反戦」「非戦」「反核」「反原発」「福祉の充実」「憲法9条を守ろう」という主義主張に反対意見を持つクリスチャンもたくさんいます。クリスチャンであることと特定の政党を支持するということとは、直接つながっているわけではないと言ってもよさそうです。
 私自身はというと、実はどこの政党を支持するという気持ちもなく、正直ノンポリです。しかし、憲法9条や反核については、確かに共産党の見解と一致するところはあります。また、沖縄の米軍基地が地元の人びとに与える悪影響は見過ごしにできず、基地の無い島になってほしいと思っていますし、オスプレイの配備にも反対です。それは軍備が人間の暮らしにはっきりと悪影響を及ぼし、人間の命が踏みにじられているからです。

 ところが、私のような考え方でも、昨今の北方領土、竹島、尖閣諸島の問題となりますと、ちょっと黙ってみていられないような気もします。
 というのは、キリスト教は「いのち」を守る方向性があると先ほど言いましたが、「いのち」を守るというのは、基本的に「食べること」と「エネルギーを確保すること」にも深く関わってきますので、そういう意味で非常に重要な利害の関する領有権について、自国の国民を守れないというのはどういう政権なんだ、ということになるのです。

 私は国家主義者ではありません。国民が国家のために犠牲になるのは大きな間違いで、国家が国民に仕えるべきだと考えています。国家の威信のために軍備を増強することには反対です。
 しかし、国家が国民の生活を守るために最善の努力をするべきだという考えに立てば、その国民の食生活やエネルギーに関する領有権については、きちんと交渉して欲しいと思うのです。
 戦争はするべきではありません。武力行使はするべきではありません。しかし、ぼんやりしていると弱みにつけこむ者たちが跳梁跋扈する中では、時にはしたたかに生き延びなければならないことも事実です。そのために、言論の力で出張すべき所はしっかり主張し、言論の力で「戦う」ことは必要ではないかと思います。
 そのために歴史を検証する事も必要でしょうし、どうしてもらちがあかない場合は国際法廷ででも訴えることも必要でしょう。
 武力行使をしなくても、戦う方法はいくらでもあります。むしろ、今の時代の戦いは、武力を使わないでいかに勝つかということでしょう。武力を使った戦いを展開する方が愚かです。
 私たちは、日々の生活のなかで、常に毎日戦っています。殴り合いのケンカはしませんし、また殴り合いをせずに、いかに平和的に、いかにうまく自分の利益を確保するかという戦いにあけくれています。そういう戦いを政治家にもしっかりやってほしいと思います。

 中国にも、韓国にも、北朝鮮にも、ロシアにも、愛すべき同じ人間がたくさん住んでいます。
 しかし残念ながら利害が衝突してしまう場合があります。それを武力を行使する事なく解決するには、政治家たちの高度な交渉の戦いが必要です。
 共存共栄が最も望ましい。しかし、そこまでの道が遠すぎるのであれば、少なくとも交渉の力で自国の利益は確保して欲しいのです。
 しかし、現実には国民の他国に対する憎悪を煽って、政権への不満を抱えた国民のガス抜きをするといった、国民間の敵意を政治家が利用しているばかりで、交渉の闘いは進んでいません。
 国民感情は対立か、和解かといった二極対立に流れがちです。その事に私は非常に迷い、悩みます。私のような立場は、どちらの陣営の人にも曖昧でいい加減だと批判されてしまうかもしれません。

 最初のご質問、「クリスチャンは共産党を支持しないとダメなのですか?」という問いへのお答えは「ノー」です。
 クリスチャンが特定のある政党や政治的信条を掲げる団体を支持しないといけないということはありません。どこを支持するのも自由ですし、じっさいクリスチャンでも、自民党や民主党の支持者もたくさんいます。
 また日本から外に出てみると、たとえばクリスチャンがほとんど多数派を占めているような国では、当然、どこの政党の支持者を見てもクリスチャンが多いわけですから、「クリスチャンだから、どうだ」ということは言えないことがわかります。
 アメリカなどでは、武力で自由主義や和平を達成するという考え方のクリスチャンがおそらく他国のクリスチャンよりずっと多いでしょう。
 日本においては太平洋戦争の敗戦による心の傷は大きく、キリスト教の立場から「非戦」「平和」「反核」を推進する層が一定数存在することは否定できませんし、その点でのみ共産党や社民党を支持するというクリスチャンがいても不思議ではありません。私個人は、共産党や社民党支持ではありませんが、「非戦」「平和」「反核」という主張が、キリスト者として共有はできると思っています。
 しかし、牧師が個々人の信徒や求道者に対して、このような政治的な運動に賛成しない者を切り捨てたり裁いたり、強制したりすることは許されるべきではないでしょう。
 一神教の信徒にはありがちな事ですが、自分が「唯一絶対の神」を信じる信仰に基づいて考えていることだから、「唯一絶対に正しいのだ」と思い込むという落とし穴にはまる人が多いのです。ですから、そちらの教会の牧師さんも、善かれと思ってあなたに自分の信じていることを勧めているつもりなのでしょうが、それはあなたにとっては大きなお世話というのも理解できます。

 特に、ある世代のクリスチャン(私より少し上の世代)、牧師や信徒には、確かに左翼的な考え方をする人がたくさんいます。学生運動などで活発だった世代は、今は高齢になっておられますが、やはり学生運動の時の名残を残して闘っている人はいます。
しかし、その世代でさえも、大部分の学生運動の元闘士たちは、卒業すると今度は企業戦士になって、すっかり会社人間となってしまいましたので、すぐ下の世代である私から見ると、ちょっと残念な気がしています。
 その一方で、その世代のクリスチャンで、「北朝鮮はユートピアです」と発言して、私もさすがに呆れたということもありました。何かの思想にかぶれ、強く思い込むということは、人間を狂わせる面もあるのかなと思わされます。あなたに対して、教会の牧師やその他の人びとが、人前であなたの政治に対する考え方を批判したのは、非常によくない事であると思います。どんな政治的信条を持つのかは基本的で自由でなくてはなりませんから、衆目の前であなたが批判するのは、一種の暴力だと思います。それはやってはいけないことですよね。

 その一方で、若い世代の人たちは、右にしろ、左にしろ、特定の政治的立場に立つこと自体が非常に珍しい様子です。それよりも、何か変化が起こることを期待して、従来の政党とは別の動きをする、知名度の高いタレント政治家や新党に票を入れる人もたくさんいます。
 ですから、そういう意味では、世の中では信仰よりも、世代や経済的な階層や、その時の時代精神のほうが、はるかに個人の思想に影響を与えているという気がしますし、それは教会の中でも同じでしょう。
 ですから、あなたが共産党や社民党支持ではないとしても、教会までやめてしまう必要はないのではないかな、と思います。
 牧師の政治的な信条が、あなたに耐えられないほど不愉快なものなら、自分に合う教会を他に探してみられるのも悪くないのではないかと思います。
 お答になりましたでしょうか?
 (2012年10月27日記)
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〔最終更新日:2012年10月31日〕

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