「下世話なQ&A」の入口に戻る

 Q. キリスト教って、家に訪ねてきたり、街で声をかけたりするあれでしょ?
 
 「キリスト教って、あれか? よく街中で『ちょっといいですか〜。少しお時間いただけますか? お話しませんか〜?』て言うあれやろ?」
 「キリスト教って、あれでしょ? よく家の玄関でピンポンと押して『大切なお知らせを持ってきました〜少しお話ししませんか?』って言うあれでしょ?」

(2009年9月にいただいたメールより)

 A. ちがいます。

モルモン教の場合

  街中で「ちょっといいですか〜?」と声をかけてくる外国人、その多くの場合は白人男性で、ときどき中国人や日本人が一緒のときもある場合がありますが、あれはたいてい「末日聖徒イエス・キリスト教会」、通称「モルモン教」と呼ばれる宗教の伝道者です。
 モルモン教の信徒の男性には「兵役」/「徴兵制」に相当する義務が課せられていて、2年間、路傍伝道つまり街頭で道行く人に声をかけて伝道する役割を果たさなくてはならないのです。それで彼らは、あなたにニコニコと笑顔で話しかけてくるのです。
 モルモン教はずいぶん前からキリスト教サイドからは「異端」として排撃されてきました。それは、キリスト教では正典は「聖書」一冊のみですが、モルモン教では「聖書」以外にもう1冊、聖書と同じくらいのサイズの「モルモン書」という第2正典があるからというのが一番大きな理由です。
 また、ごく近年まで、街頭で勧誘活動を行なったり、その勧誘が最初は教会への勧誘ではなく、無料の英会話教室への勧誘というかたちで行なわれ、英会話教室に通っているうちに、やがてそこが教会であることに気づくといった手法をとってきたために、人をだまして教会に勧誘しているのではないかという疑問を持たれたことも、非常に警戒された理由のひとつでもあります。
 しかし、最近ではほとんど街中でモルモン教の伝道者を見かけることはなくなりました。どうやら、そのようなカルトまがいの方法があまりよくないということに気づいたのでしょう。
 また、最近のモルモン教は本拠地のアメリカ(ユタ州・ソルトレイクシティが本山の所在地)を中心に着実に増やし、一時期のような少数派のカルト集団ではなく、ひとつの立派な大型宗教としての市民権を持つようになってきています。アメリカのホテルの室内に備えてあるガイドには、時折そのホテルの近隣の教会の案内なども載せてあったりしますが、その中に堂々と「The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints(末日聖徒イエス・キリスト教会)」の名前がリストに含まれていたりもします。
 モルモン教がバックアップしている教育施設として、ブリガム・ヤング大学も近年ではよく知られるようになっています。特に私たち日本に住む者にとって比較的身近なリゾート地であるハワイにあるブリガム・ヤング大学ハワイ校は、観光客がたくさん訪れる「ポリネシア・カルチャー・センター」(PCC)のすぐ隣りにあって、実はPCCを経営しているのはブリガム・ヤング大学であり、そこで働いているスタッフはほぼ全員がこの大学の学生で、ここでのアルバイトで学資を稼いだりしているのです。
 つまり、それだけモルモン教というのはメジャーになってきているので、今の段階で、キリスト教会が「当教会はモルモン教とは関係ありません」と言ったところで、モルモン教のほうは痛くも痒くもないわけです。

エホバの証人の場合


 日曜日などに家に訪ねてきて、ドアホンを鳴らし、「大切なお知らせを伝えに来ましたが、少しお時間をいただけますか?」と訪ねてくるのは、おおむね「エホバの証人:ものみの塔聖書冊子協会」の人たちです。大抵の場合、女性の2人組で来ることが多いです。よく公園などで10〜15人程度で集まって輪になって祈り、1人の男性が指導者のような様子で、その人の指示で女性たちが住宅街に派遣されてゆく……という行動をあちこちで繰り返しています。訪問しても門前払いを食らった場合は(ほとんどの家庭ではそういう対応ですが)、ポストに小冊子を置いていったりします。その冊子はたいてい『目覚めよ!』であったり、『ものみの塔』であったりします。
 この人たちもキリスト教サイドからは「異端」であるとして排撃されてきました。というのも、この宗教団体は非常に終末思想が強く、この世の終わりが間近に近づいているということを、強調しすぎるほどに強調します。世界でたくさんの地震や津波や洪水が起こっているのは、世の終わりが近いからだというのです。そして、エホバの証人に入信すれば、この世の終わりの後にやってくるパラダイスにおいて、永久に生きることができる、というのです。終末論というのは、そのような解釈をするものとは決まっているわけではないのですが、彼らはそのような教義をあまりに強調し、それ以外の聖書解釈を認めません。
 また、キリスト教は日曜日が聖日/主日ですが、エホバの証人では土曜日が聖日です。これだけではなく、過越祭を行なってみたり、ややユダヤ教的な色彩を引きずっています。そういう所からもキリスト教からは排撃される原因を作っています。
 そしてもっとも彼らの行動で敬遠されるのは、その伝道方法で、休日に住宅地を徘徊し、1軒1軒訪ねて勧誘して回る方法がカルト的で疎まれています。一時期は彼女たちが自分の子どもを連れて歩きながら家庭訪問を繰り返していましたが、最近はさすがにそういう姿は見られなくなりました。
 この団体も本拠地はアメリカ(ペンシルベニア州が本山の所在地)にあり、やはりモルモン教と同じように、かつてはキリスト教まがいのカルト集団として冷たいあしらいを受けてきましたが、最近では市民権を得て、やはりホテルの室内のガイドを見ると、「Kingdom Hall of Jehovah’s Witnesses(エホバの証人の王国会館)」という案内が出てくる場合があります。
 日本ではまだそれほど影響力を持っていないようですが、1軒1軒の家庭を飛び込みで訪問するという方法は、実は信者を獲得するためだけではなく、信者たちのこの世に対する孤立感を煽って、逆に「救われるのはひとにぎりの少数派でしかないのだ」という思いを抱かせ、逆に忠誠心を高めるためだという指摘もされています。彼女らにとって、この世の人びとに嫌われ、訪問を断られることは、逆に天に宝を積むことになるのだと教えられているという情報もあります。
 
最近のキリスト教は「勧誘」をしません

 最近のキリスト教の教会は、通常は家庭への飛び込み訪問はしません。また、路傍伝道も、一部の原理主義的な教会以外は、まずやりません。
 牧師が教会の信徒さんのお家に訪ねてゆくことはあります。それも、家から動けないような病気などの事情があったりする場合にお見舞いとして訪問したりする程度です。基本的には、相手が信徒であったとしても、一般家庭のプライバシーに入り込んでゆくようなことはしないのです。
 また、街で声をかけたり、といったこともほとんどしません。昔(20年ほど前:1980〜1990年ごろ以前)には、駅前や商店街などで教会の礼拝や行事のチラシを配ったり、街中をメガホンでもって案内して回ったり、ということを教会も行なっていました。実は、当iChurch.meの牧師も、学生時代は路傍伝道や街角でのトラクト配布などをやったことがあります。
 しかし、近年のキリスト教会は、まずそういった「勧誘」まがいのことはしません。
 それには、オウム真理教(現在のアレフ)などに代表されるカルトによる深刻なテロ行為(もっとも有名なのは、1995年にオウム真理教によって起こされた「地下鉄サリン事件」)や洗脳などが社会問題として取り上げられることによって、日本社会における「カルト」あるいは「宗教団体」まがいのものに対する警戒心が高まったことが一番大きな原因であろうと思われます。
 キリスト教会は、自分たちがカルトと一緒にされては困りますから、カルトまがいの「勧誘」に類する行動はとらなくなったのです。せいぜいチラシを配るにしても、ポストへの投げ込み程度、あるいは新聞屋さんにお願いしてチラシを織り込んでもらうくらいのことでしょう。穏健な教会では、街頭で人に呼びかけたり、個別に家庭訪問などを行なったりはしません。
 そもそも宗教や信仰といったものは個人の自由において信じたり入会したりするもので、本人の主体性がいちばん大事ですから、とにかく信者を獲得し、人数を増やしたいという目的があからさまな勧誘の行為は、組織の拡大やお金を集めるためといった目的が見え見えなので、最初から信用しないほうが良いのです。

 しかし、その反面、社会の目が厳しくなったこともあって、おおっぴらな伝道活動ができなくなった分、教会のほうでも自分たちが行なっている礼拝や行事、催し物などを広く地域社会に認知してもらうということはできにくくなりました。ですから、本当に良いものが教会にあるかも知れないのに、それに人に触れてもらうことが難しくなっています。キリスト教に関心のある人が、実は家のすぐ裏に教会があったのに、何年間も気づかなかったといったことがよくあるのです。
 ですから、もしあなたがキリスト教に少しでも関心をお持ちなら、インターネットで教会を探してみることをお勧めします。全ての教会がウェブサイトを開いているわけではないのですが、それでも地域名や住所と「教会」という検索語を打ち込んでみると(例えば、「大阪府寝屋川市」と「教会」で検索をクリック)、都会ではたいてい複数の教会の名前が地図と一緒にわかるようになっています。キリスト教会というのは概して都心から離れるに従って数が少なくなりますが、その場合、検索する地域を広くして調べると良いでしょう。
 そして、そうやって調べ当てた教会に日曜日の朝、訪ねてみましょう。たいていの教会では日曜朝の9時ごろから幼児から中学生くらいまでの未成年向けのプログラム、10時半ごろから高校生から成人向けの礼拝やミサが行なわれていたりします。
 その礼拝などで、語られる牧師や神父のお話などから、キリスト教の教えがどのようなものか知ることができるでしょう。キリスト教の教えというのはかなり奥が深いものなので、1回のお話を聞くだけではとても全体像がわからないかもしれません。しかしそれも、先の楽しみがたくさんあると思えばよいことではないかと思います。
 宗教というのは、勧誘されて入るようなものではなく、自分の興味関心や疑問に従って、自分で答を探しているうちに出会えればよいようなものです。そして、自分の理解度に従って、自分の救いが見つかってゆくという、自由度のあるものです。ですから、簡単に言うと、街頭で勧誘したり、家を訪ねてきて勧誘するような宗教団体は、たとえその勧誘員が「キリスト教」を名乗っていたとしても、最初から相手にしないようにしたほうがよいでしょう。
(2012年3月14日記)

  

〔最終更新日:2012年3月15日〕

このコーナーへのご意見(ご質問・ご批判・ご忠言・ご提言)など、
発信者名の明記されたメールに限り、大歓迎いたします。
三十番地教会の牧師はまだまだ修行中。
不充分あるいは不適切な答え方もあろうかとは思いますが、
なにとぞよろしくご指導願います。
ただし、匿名メール、および陰口・陰文書については、恥をお知りください。

ご意見・ご質問のメールをくださる方は、ここをクリックしてください……

 「下世話なQ&A」の入口に戻る

 礼拝堂(メッセージのライブラリ)に入ってみる


 教会の玄関へ戻る