ある日の牧師どうしの会話。
A 「昨日、妻とケンカをしてしまいました」
B 「へえ、温厚なA先生でもお連れ合いさんとケンカをすることがあるんですねぇ。で、何があったのですか?」
A 「実は、わたしの教会に電話がかかってきまして、若いカップルなのですが、結婚式をあげたいというのです」
B 「ほうほう、それで?」
A 「うちは基本的に、教会員さんの結婚式しかしませんから」
B 「断られたんですか?」
A 「断ろうと思ったんですが、事情を話したいというので、聴いたのです」
B 「ほうほう、すると?」
A 「危篤状態で、おそらく結婚式の予定の日までもたないだろうと思われる父親に、ひとめ花嫁姿を見せたいと言うのです」
B 「なるほど、そこで教会であげたい、と」
A 「じっさいの結婚式はホテルで予約しているわけです。それはちょっと先の話なのですね。それに先立って、教会で、ごく身内だけで簡素でもいいから結婚式をお父さんに見せてあげたいという話なのです」
B 「なるほど」
A 「先生なら、どうされますか?」
B 「は? わたしですか? うーん、さぁ、どうでしょうねぇ。まぁ受けてあげてもいいんじゃないですか」
A 「わたしはですね。『いいですよ』と言いました。『つきましては、費用は10万円になります』、と。すると、あちらは即座に『高いですね!』と言われました」
B 「フーム、10万円……」
A 「高いですか? でも、教会への献金が5万円、オルガニストへの謝礼が2万円、司式をするわたしが3万円と計算すれば、そんなものでしょう」
B 「まあね、そういう計算をすればそうなりますねぇ……」
A 「その後、そのカップルからは連絡がありません」
B 「そうですか。で、それがなんで夫婦ゲンカの種になるんです?」
A 「妻に言わせると、『おまえは金の亡者だ』と言うのです。『タダでやってあげたらいいじゃないか』と」
B 「なるほどねぇ」
A 「わたしは本当に金の亡者なんでしょうか。先生ならどうされます? この話、先生だったらタダで受けますか?」
B 「そうですねぇ……。まぁ、ぼくだったら、7万円で受けますかね。いや7万8千円から始めるかな?」
A 「え?」
B 「だって、先生は10万円って言ったから、結局お客さんに逃げられたわけでしょう? まぁ6ケタなら高いと思う人はいると思いますよ。ぼくなら、7万8千円から始めて、話をじっくり聴いて、『よし、じゃあ君たちのために特別に値引きしておこう』と言って、8千円引いて、7万円をいただきますね」
A 「うーん……うーん……」
B 「おかしいでしょうか?」
A 「いや、しかし、そんなんでいいのでしょうか? そんな、教会での結婚式を安売りしてもいいのでしょうか? そういうことのひとつひとつが、日本のキリスト教の値打ちを下げているのではないでしょうか!」
B 「それは、そうかも知れませんけど。……けど、それを言うのなら、先生、10万円は安すぎませんか?」
(2005年2月にじっさいに交わされていた会話より。プライバシー保護のため、話の趣旨を変えない程度に内容を一部改変しています)
■「教会なら安い」と思っている人が多い。
教会で結婚式を挙げたら、安上がりだと思っている人は案外多いのかも知れません。
最近、「ジミ婚」、みたいな言葉もありまして、ホテルや専門の結婚式場で派手なお金のかかる披露宴をするよりも、もっと質素な結婚でいいじゃないか、という風潮とも関連があるのかも知れませんね。
ド派手な披露宴なんてダサい。「同じお金をかけるなら」、海外でっ! 美しい海の近くのっ!! 「ホンモノの教会」で愛の誓いをぉぉっ!!!
ということは、つまり、「同じお金をかけるなら」、そのお金は旅費に回して、式や披露宴にかかる経費はケチってしまいましょう、ということなのでしょうね。
多くのホテルと結婚式場が、「結婚式」と「結婚披露宴」をワンセットで営業しているので、この2つが区別できていない人も案外多いようです。
本題に入る前に、「式」と「披露宴」は違う、ということをわかっておいてください。
若い人の多くが、「結婚式」と言うと、「披露宴」のパーティのことを思い浮かべます。「式」のことを忘れている人が多いのです。
ひどいのになると、もうときどき「披露宴」と「二次会」の区別もついていない人がいます。「結婚式」と言うと、「二次会」で同級生たちにシャンペンぶっかけられているドンチャン騒ぎの場面しか思い浮かべられない人がたくさんいます。
いいですか?
@まず「式」があって二人は初めて夫婦となるのです。それから……
A夫婦となりましたということをみなさんに「ご披露」するために「披露宴」があります。そして……
B「披露宴」に呼びきれなかったようなたくさんの友人などといっしょに、肩肘張らない楽しい「二次会」パーティ。
これをちゃんとフルコースでやったら、結婚式の一日はホントに大変です。
そして、クタクタになったまま、髪を振り乱して、ヒコーキに飛び乗って、パックのハネムーン……そして、クタクタのまま帰ってきて、明日からまた仕事……。
そんなのはダサい。そう、ダサいです。
特に「披露宴」はダサい。会社の上司か誰かが、「あー本日はお日柄もよく……」とかいう言葉から始まって、「……しかし、なにぶん二人は若うございます。皆々様のご指導、ご鞭撻を……」で終わるような、ワンパターンのスピーチ。しかも「3分でお願いします」と言っても15分くらいしゃべっちゃって、「いったいいつ終わるんじゃい!」と叫びたくなるような退屈なスピーツのオンパレード。それが終わると、「ままままままま、一杯……」とビールのつぎあい。一人次に来たら、もう一人後ろに茶色いビールびん持ったヤツがいて、その後ろにも行列ができ、「もうビールで腹がいっぱいだよぉぉ!」。
……ダサい。披露宴はダサい。大金かけて、そんなダサい披露宴するくらいなら、結婚式は「ジミ婚」で、ハネムーンにお金をかけてしまおうよ!
とか言いながら、結局は、ご両親や親戚の手前、あんまり恥ずかしいことはできないか、と相談に相談の末、結局フツーに披露宴をやっちゃったりする人が多かったりするのですが……。
本題からズレました。
もちろん、今回のQ&Aの題材になったケース(上記の牧師どうしの会話に出てくる若いカップル)では、披露宴のお金がもったいないから教会に電話をかけてきたわけではありません。
けれども、「教会にたのめば、安くやってくれるのではないだろうか」、「あるいは手軽に受け入れてくれるのではないだろうか」という期待があったから、こういう依頼をされたのだと思うのですね。
そして、じっさい、教会には、「安く結婚式をやってくれるのか?」という、露骨な質問の電話がかかってきたりすることも、よくあるのです。
では、本当に教会で結婚式をあげたら、安くあがるのでしょうか?
■思わぬ難関
ところが、教会というところは、そうやすやすと一見さん(いちげんさん)の結婚式に応じてくれるところではありません。
たいていの教会は、教会員(つまり信徒、つまり洗礼を受けたクリスチャンで、しかもその教会のメンバーとして所属し、登録している人)の結婚式か、その直接の家族(教会員の息子とか娘とか)なら快く行なってくれますが、それ以外の人の結婚式については難色をしめすところが非常に多いのです。
それというのも、キリスト教独特の結婚に関する考え方がベースにあるからです。
▼結婚と言うのは、まずカトリックでは、「秘蹟(サクラメント)」(神さまによる不思議に満ちたわざ)のひとつとされています。人と人が結婚するわけですが、カトリックでは、それは神さまのわざだ、不思議な神さまの導きによる運命が、形となって実る出来事なのだから、これは神さまから見ても特別な出来事なのだ、ということになります。
となると、そういう結婚の意義がちゃんとわかっている人しか、キリスト教の本来の意味での結婚はできない、ということになります。
確かに、カトリックでも、大きな大きな教会では、ときどきホテル顔負けなほど、一日にたくさんの結婚式を流れ作業でこなしていところもありますが、たいていはなかなか容易に受け入れてはくれません。
▼プロテスタントではどうかというと、プロテスタントでは、カトリックの「秘蹟」にあたる「聖礼典(サクラメント)」には結婚は含まれていません。けれども、プロテスタントでは「契約結婚」という考え方を重要視します。「結婚は契約である」というわけです。なんでそういうことを強調するのかというと、「旧約(旧い契約)」「新約(新しい契約)」というように、神と人との関係が契約関係なので、契約というのが、人と人の関係の間でもいちばん大事だ、という考え方をするからです。
神さまと契約関係にある人間、その人間と人間の契約に神が立ち会う、という考え方をします。
すると、やっぱりそういうことをちゃんと理解できる人が教会で結婚しないと、本来のキリスト教の結婚式にならないし、ホンモノのキリスト教の結婚式にならないものを教会でやっていいのか、ということに、ひっかかりが出てくるのですよ。
そういうわけで、なかなか教会では、そういうキリスト教の結婚式の意味がわからない、ノンクリスチャンの人の結婚式を受け付けることには、抵抗を感じるところが多いのです。
もし、事情を知らずに、ただ「安上がりだろう」と思って電話をかけたら、思わぬ冷たい対応に驚くかもしれません。
しかし、同時に、そういう無知な状態で、教会に電話をかけて、教会の人にも嫌な思いをさせていることも、ちょっとは考えてみてくれたらうれしいですね。
■あんがい高くつく
しかし、たとえ、親族にクリスチャンの方がいらっしゃったとしてですよ、本当に安くあがるんですかねぇ。
だって、いいですか? 最初の項目でのべたように、結婚と一言で言っても、「式」「披露宴」「二次会」とあるわけです。そのうち、教会でできるのは、せいぜい「式」だけです。教会には、宴会場も、フルコースの料理を出す厨房も、カラオケも、シャンデリアも、ミラーボールもありません。
ということは、「式」のあと、人並みに「披露宴」をやろうと思ったら、関係者一同タクシーを何台も連ねてパーティ会場に移動しないといけません。その移動費とパーティ経費に加えて、教会の使用料(正確には「感謝献金」という名目ですが)を考えていくと、時間、手間がかかる上に、経費もそんなに変わらない、いやひょっとしたら経費面でも、高くついてしまう可能性だってあるわけです。
いやーそれにしても、この手間はたいへんですよ、手間は。ウェディングドレス着たまま移動する花嫁のしんどさといったら……。
その点はね、教会員だったら、もともと質素に済ます人も多いですから、教会の礼拝堂で式をあげて、そのまま教会の集会室で、教会員のみんなに祝福されながら……と、こぢんまり行なうことがあったりするんですが、世間一般の人はそうはいかないでしょうし、教会と無関係の人の披露パーティを教会の集会室で、なんて、いよいよ教会にふだん来ている人がいやがりますよ。「うちはそういう商売やってるんじゃないんだから」ってね。教会によっては、「アルコールなどもってのほか」というところもありますから。
もう少し具体的にお金の面を見てみましょうか。どうでしょう、冒頭の牧師の会話にあったような、「教会への感謝献金5万円、牧師への感謝献金3万円、オルガニストへの感謝献金2万円」という額は。高いと感じますか、安いと感じますか? 合計10万円。
でも、これはまず最低のラインです。それ以下だったら、一生に一度(のつもりのはずでしょう?)の式典を司ってもらう相手に対していくらなんでも失礼でしょうね。牧師へのお祝儀は5万円から、というところじゃないでしょうか。気合の入っている人は10万円以上する人もいますよ。
結婚式場に雇われているわけでもないふつうの信徒のオルガニストの方に無理なお願いをして2万円というのも失礼な話ですが、それだけではなくて、聖歌隊にも出ていただきましょうということになったら、そんな些少な額では済まないでしょう。
とにかく、それを商売にしている業者ではありませんから、規定の金額というものがないのです。「失礼のないように」と気を遣えば遣うほど、金額は上がっていきます。
また、決まってないからといって、安く上げようなんて根性で迫ると、「なんだ、こいつ、自分の一生にそうあるかないかの大事な節目まで値切りおって。こいつはそういう風に自分の人生や、愛情まで安く上げようとするような人間なのか」と思われて、心のこもった式をあげてもらえないかも知れませんよ。
とにかく教会と言うところは、商売で結婚式をやっているところではありません。ということは、やってくれるとしたら、まったくの「好意」でしてくれる、ということになる。ということは、こんなに気を遣うことはない、ということです。
あるいは、こういう教会もあります。
「教会で結婚式を挙げるのはいいですが、そのまえに最低半年間、日曜の礼拝に通ってキリスト教を学び、牧師のカウンセリングを受けてキリスト教の結婚についてきちんと理解してから、というのが条件です」
そういうことを求められる教会があるのです。
どうですか? やってみますか?
そう考えると、一般の結婚式場やホテルのブライダル部門では、それが商売なのですから、実に手際よく、多少あなたが失礼でぶしつけな態度を取っていても、いつでもにこやかに対応してくれますから、きっと気持ちよく事を進めることができるでしょう。
それに、ホテル側も、「結婚式」と「披露宴」をワンセットで営業したいですから、ワンセットで案外お値打ちになっている場合もあるのです。いろんなコースが選べますしね。
手際よく、慣れたスタッフに導かれて、設備も整った美しいチャペルで、ビデオも記念撮影もプロの手にお任せ、すぐとなりの宴会場ではフルコース料理が用意され、各種アルコールもとりそろえ……と、これじゃあ、苦労して対して安くもない教会の結婚式を、一見さんがやる意味はないですよ。
だからね、教会での結婚式を、安易にノンクリスチャンの方が検討するのは、おすすめいたしません。
ただし、たとえ結婚式場やホテルでやるにしても、一応、一生に何度もするものではない約束を交わす聖なる儀式を、ニセモノの牧師や神父の前ではしたくないでしょう。斎場でお経をあげてくださる坊さんがニセモノだったら困るのと同じです。
一般のホテルでも、きちんとしたところは、ホンモノの牧師を呼んで式をしています。いいかげんなところは、NOVAの出稼ぎ英会話教師なんかをやとってます。ホンモノの牧師がきちんと司式をしてくれる結婚式場を持つホテルで、式をあげましょうね、みなさん。
この件については、こちらのQ&Aも参考にしてください。
では、お幸せに……。 (2005年3月30日記)
〔2005年3月30日〕
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不充分あるいは不適切な答え方もあろうかとは思いますが、
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